newこだまなくらし

あなたの ハートに 「やっほー」と いえば 「やっほー」と こだまが かえってくるよ ・・・あなたが 「こだまな くらし」を したら  ゆたかさ あふれる せかいに ゆくよ あなたの ハートの なかにある ひかりの あいを ひびかせた 「こだまな くらし」つくってね ☆ホームページをご覧ください http://mizuetenji.web.fc2.com/

⑰「空想の自分」の浄化

朗読アップしました、二本です


www.youtube.com


www.youtube.com

掲示セミナー⑰「空想の自分」の浄化

____________________
では前回の⑯「空想の自分」のまとめから話しましょう
★私たちはどうすれば抵抗をやめられるのか?

全ては無限への抵抗だった、
それは、創造主への抵抗だった、と知る

「抵抗をやめる」と決める
私は創造主に全託する」と決める
「全託しかありえな~い!」と言う


天国を見たい、実相を知りたい、知覚したい
という「好奇心」を持つ

願望にとどまらず、
日々、波動変容の過程を推し進める
自分の波動の臨界点を超えるまで
「無限に合わせる、限定を手放す」

●無限に合わせる、、には
「自分の中心」の波動認証を超えるように
無限感の波動貯金を続ける


●限定を手放す、、には
自分が選んでいる波動に気づき、選択、決定を続ける
日々「空想の自分」エゴに気づき
日々
「無限か、限定か」波動を選択し
日々「限定波動は手放す」と決める

自らが、自分の波動を変えようとしなければ

変わるわけがない
「私がやらなきゃ誰がやる」

エゴは「空想の自分」
エゴは「無存在」
「自分はいま、無限の中にいて無限のままなのだ」
と思い出す

、、とはいえ、エゴは自分だと思えるもの
それでも
「これは私ではない」と言い張ること

歌う宣言も使える
「やだやだやだ、嫌い嫌い、これは私じゃない、
私じゃない、私じゃない
私じゃないよ、
限定全て、私じゃない私じゃないよ

私は無限、私は無限、無限の存在だ」

手放す歌にも使える
「やだやだやだ、嫌い嫌い、ぜ~んぶポンポンポン、

私じゃないもの、ポンポンポン、光に還れ、
私じゃないもの、ポンポンポン、無限に還れ
やだやだやだ、嫌い嫌い、ぜ~んぶポンポンポン」

言い方は何でもいい、
自分で好きなようにアレンジする
思いのままを歌いながら、宣言もする
そして手放す

浄化にビビるな
「私ったら無存在のもの恐れてた~」
「無いもの恐がるなんて、ありえな~い」
と笑ってしまおう

エゴ軍団の活性化で
なかなか気分がよくなれなくても、
自分を許し、在るがままでいる

「早く何とかしなくちゃ、限定波動送り出しちゃうよ~」
とアセアセしない
アセアセもエゴ、
「たたみかけブロック」されてるだけ
 
気持ちが落ちている時には波動調整
「ただ言う、ただ歌う」

「やったやった、ラッキーラッキー、
ついてるついてる、あははあはは~」
ジングルベルの音楽で
「嬉しい、良かった、ありがとう、愛してる」

朝起きた時、このような波動調整で始めれば
その日一日の波動の土台を決められる
波動の土台が決まっていれば、
そこから離れたことにも気づきやすくなる
そうして離れたと気づけばまた歌う
浄化が必要なら、方便を使い、ただ手放す
____________________
★何をもって抵抗しているかを知る
皆が無限に抵抗しているのは、
大まかに分ければ、
以下のようなこと

ここには自分が創造した「空想の自分」エゴと、
自分が肉体にインプットしたことで、
肉体が感じている「恐れ」なども含まれる

①「人間イシキ」
●自分は人間だと思い込んでいるイシキ
「人間感覚」
●人間としてのあらゆる感覚

「物質感覚」
●全ては物質だと思い込んでいる感覚

「競争イシキ」(比較グセ)
●「光のイシキ」は、
物質の創造をする中で、お互いに競争を始めた

「光のイシキ」が地球体験を望み、
自分達で、動植物など全てを創造してゆく際に
「アソビ」として競争をした

それが
限定体験に入ったときに「習い性」になった
創造した「空想の自分」エゴによって
この「競争イシキ」が強化され、
そこから抜けられなくなった

「競争イシキ」は、あらゆる限定の考えや感情の
根っことなっている
子供の頃から「競争イシキ」の中で生活し
「習い性」「クセ」「洗脳」にまでなっている

何でも比較で見る習性
比較によって、自分や何かや誰かを
褒めたり、けなしたり、
あるいは、4羨んだり、自虐したりしている、

実際には、、
全ては「ひとつ」
極性は幻想
故に、
比較は存在しない

解決は、、、
自分で、この競争イシキによる
「習い性」「クセ」「洗脳」に気づいて、
「全てはひとつ」と決める、

競争は、「ゲーム」の中の
単なる「
アソビ」と知る、
自分が比較しながら、褒め、けなしていること
あるいは比較しては、人を羨み、嫉妬していること、
などに気づき、手放し、「競争イシキ」から離れる

「たった一つの存在」だけがあり、
すべてが「それ」である

「光のイシキ」もまた、創造主とひとつで、
全ては自分自身である、

「たった一つの存在」に、比較や競争はありえない
「自分は「ありえない錯覚
をしていたのだ」と知る

「限定の想いと感情(限定感情)」
「限定の考え(限定思考)」

●「空想の自分」エゴによる
限定の中での、感情、想い、考え、その全て

たとえば、、実相について考えていても、
それは「限定の中での考え」にしかすぎない

「考え」から離れ、
フィーリング、ひらめき、洞察、、を受け取れるように
「ただ在る」歓喜と感謝でいる

④「錯覚イシキ」「思い込み」

●「空想の自分」エゴを自分だと思い込むことによって
全てに対して持っている
錯覚、思い込み、空想、誤解、見間違い

「肉体に関する錯覚(肉体感覚)」
●自分自身体に対して決め込んでいる錯覚
たとえば、、、病気や老いや死などを
避けられない、仕方がないこと、当たり前のこと
などとしている
それを肉体に、無意識のうちにインプットしている

「生存本能(危険を回避する為の恐れ)」

●「光のイシキ」たちは、物質体験のために
自分達が肉体に持たせた本能に
自分自身が、限定感情を加えるようになった、

「生存本能」とは、もともとは、
「光のイシキ」が、肉体の保持を目的に
肉体に組み込んだものだった

たとえば、高いところから急激に飛び降りるような
肉体に害を及ぼす行動をしないことや、
他の大型動物などから身を守
るためのものだった

「光のイシキ」は、限定体験の過程で、
生存本能も自分だと思い込み、
「空想の自分」エゴで、全てを恐れるようになった

光のイシキは永遠の存在である
どう在っても「生存しないことはありえない」
のだから、この「生存本能」も手放す

生存のための本能を手放したら
危険を回避できない、という心配はいらない

何故なら危険は実在しないから、
「危険が実在する」と、自分が決めている限り、
危険からも、
恐れからも、逃れられない

肉体は、自分の想い、考え、感情の波動を、
常時受け取り、自分の指令通りに働いている

自分の肉体に、心配や不安、危険や老いや死の
波動を送り出さない、

知覚を移行させるまで、
生存に対する恐れや
肉体に対する限定波動
、、自分の感情、考え、想いに気づき手放してゆく

肉体を安心させ、肉体に
感謝す
肉体の手入れをきちんとし、
死を超え、共に連れてゆくと決定する

肉体を連れて無限へと還るのか?
肉体を置いて死へと移行するのか?
それは、自分自身の選択だ、、と知る

⑥「食への執着と抵抗(食の執着、抵抗)」
「性への執着と抵抗(性の執着、抵抗)」

●もともと半霊半物質(ライトボディー)から、
肉体に波動を落とした理由のひとつには、
地球体験の「アソビ」の中で、
完全に物質肉体となって、
より濃密な
体験を味わおうとしたこともあった

それは、、他の動物たちを観察していて、
自分達も、完全に肉体にまで波動を落としてから、
様々な体験をしたらどうだろうか、、という、
探求心、好奇心、実験願望などによるものだった

それによって、
最も波動が低い物質肉体から
一気に、急激に、波動を上げる興奮状態
「一瞬の無限感」を楽しもうとした

その中でも特に、食と性、
他にも、様々な危険や恐怖や死などに対しての
興味と好奇心があった

そうして、バンジージャンプや、
ジェットコースターのような
「高揚感」や「エクスタシー」を味わったり、、

あるいは、ゾンビゲームや
ファイティングゲームのような
危険や死と隣り合わせの
「恐れ」や「興奮」を味わったりした

こうして「光のイシキ」は、
波動のギャップによって
「一瞬の無限感」を強烈に感じることを求め、
波動を落としては一気に上げる「アソビ」をした

そういった「アソビ」を続けるうちに、
「空想の自分」エゴの創造によって、
時間幻想の中で、体験が変化していった

「光のイシキ」は、自分達が常時感じていた
「永遠の無限感」を見失い
「一瞬の無限感」でしか、
無限を感じることが出来なくなった

「光のイシキ」は、無限の存在、
無限の存在は、
無限感を感じているのが普通
限定感を感じているのが特別

だが、それが逆転した
「空想の自分」エゴの創造によって、
「光のイシキ」は、
限定感を感じているのが普通となり、
無限感を感じているのが特別となった

また「光のイシキ」は、もともと
自分だけで、常に無限感にある存在だったが、
何かや誰か、、という対象物によってしか
「一瞬の無限感」を、感じられなくなった

やがて、「光のイシキ」の波動は、
無限波動から限定波動へと変性し、
「光のイシキ」は天国にいて天国が見えなくなった

また、死を
自分の真実」としたことで、
「光のイシキ」の、無限への帰還は忘れ去られた

こうして、自分本来の「永遠の無限感」を
見失ったことから、、
「光のイシキ」は、より強く、より深く、
夢の中の「一瞬の無限感」に、執着し、抵抗し、
更に、それらを追い求めた

そうして、自分の夢の中での
様々な「思い残し」から、
自ら、地球での「輪廻転生」をする選択を
続けた

自分たちの体験の場は、
地球の物質次元と幽界の「輪廻転生」だけ
、、、という「錯覚」に陥り、

自分の創造である、夢の中の誰かや何か
、、という対象物
に、

「一瞬の無限感を追い求めながら生き、
死んでは、また生まれ、
一瞬の無限感を追い求めながら生き、
死んでは、
また生まれ、、、
といった、夢の持続から抜けられなくなった

そうして、、無数に存在する物質体験の場から、
自ら選んで
地球体験を始めた「光のイシキ」は、
自分自身を限定に縛り付ける「地球の自縛霊」
となり、
自分本来の、無限の宇宙体験も、
無限の次元体験も忘れ去った

こうして、自分たちが創造した全てを
体を使って味わう、
「光のイシキ」の「物質体験ゲーム」は、
「知覚型体験ゲーム」から
「埋没型体験ゲーム」へと移行した


そして、
いまも幻想の中で
「一瞬の無限感」である、
「食への探究」「
への探究」や
その他への探究を、
無限に続けている

そこで、ここでは、特に、
食と性への執着と抵抗を手放す

自分でも、他の何かで
「自分は、これに対して「一瞬の無限感」を
追い求めているようだ」
、、という気づきがあれば、手放してゆく
また、抵抗は執着と同じことなので浄化する

様々なものによる、
極から極への体験によって、
興奮状態と落ち込みを繰り返す、
「躁鬱状態」のような刺激を追い求めていたのも
実は「空想の自分」エゴだったと知る

全てを浄化しても、
人生が楽しめない、面白みがない
満たされなくなる、つまらなくなる、
興味がなくなる、わけではない

執着も抵抗もなく、感謝と歓喜に在りながら
「ただアソブ」になる


「一瞬の無限感」は「空想の自分」エゴによる
「埋没型体験ゲーム」

「永遠の無限感」は「無限の私」による
「知覚型体験ゲーム」と知る、

そして自分のイシキの注目に気づく
自分は何を選ぶのか、、、
自分の代わりに選んで、決める存在は、誰もいない

「一瞬の無限感」か
「永遠の無限感」か
自分で選択する、自分で決定する、

「永遠の無限感」を選ぶならば
自分で「空想の自分」エゴに気づき、
その執着と抵抗を浄化してゆく、

「永遠の無限感」は、
「自分の中心に沈む」ことで感じるもの、
「無限に合わせ」、、「波動貯金」を続ける

物質の次元で
「何かをしてはいけない」ということはない、
何をしても、無限か限定か、どちらの波動を
選んでいるかが大切、

何をしてもしなくても
「自分の波動、自分の在り方が大切」
ということを常に忘れない

そうして、、、何かや、誰か、という
対象物による「一瞬の無限感」は、
自分の知覚が移行するまでの「アソビ」として、、

執着も抵抗も手放しながら、
全てに成ってくれている創造主への
感謝と
歓喜で、ただ楽しみ
「ただ在る、生きる、ただアソブ」でいる

、、それが、創造主「無限」と
波動が合うコツである

エスより

____________________
浄化誘導
まずは今回示した、大きなものを一緒に浄化し、
あとは自分自身で日々気付き、浄化してゆきましょう
必ず変わると決めて、やり続けましょう
(誘導は文章化せず、じかに
録音します)

⑯「空想の自分」

掲示セミナー「空想の自分」
____________________
では「迷子の幼子物語」から引用しながら話を進め、
浄化も一緒にやってゆきましょう
______________
「光のイシキ」は
「空想の自分」、、
「迷子の幼子」となり
「空想の自分」、、無数のアバターとなり
「空想の自分」、、無数の「エゴ」となった
______________
さて、「光のイシキ」が
天国で迷子になって創造した
「迷子の幼子」は「空想の自分」だった

「光のイシキ」が輪廻転生で創造した
無数のアバター「空想の自分」だった
 
「光のイシキ」が「人間体験ゲーム」で創造した
無数のエゴも「空想の自分」だった

内なる「無限の私」だけが実在であり、
自分だと思い込んでいたものは全て、
自分自身が、空想し、
創造したものだった
 
では、ここで、ある人がした話を見てみよう

『「私は自分を好きになれないんだ」
「私は自分が嫌いだ」
などと言う人が実に多いんだよ

そんな時、僕は、その人に、こう言うんだ
「それは好都合だね、
その自分は、存在していないんだよ」』


さて、この話で言わんとすることが、わかるだろうか?
」とは、、、
実在していない、夢の中の創造物、、などと言える

だから「空想の自分」は、存在していないんだ
そこで、この話の中では
好きではない自分も、嫌いな自分も、
存在していない、、というわけだ

そして、もう一歩踏み込むならば、
自分が好きになれない、
嫌いだ、と言っいる自分も
本当はその人の本質ではない

何故なら、皆の本質の「無限の私」は、
創造主と同じ無限愛なので
自分と全てを、ただ愛しているからね

さて、、創造主、、というものは像を持たない、
同じように、光のイシキも、像を持たない

そして光のイシキは、像を持たないからこそ、
創造主である光が、形となって現れる、
形の世界を心から愛したんだ

まあ、光のイシキは無邪気な幼子だからさ、
幻想ゲームに、はまったんだね

そして人間の像を愛し、
そのアバターになりきった
こうして、形の世界に夢中になったんだ
これは「偶像崇拝」のようなものだね

その人間のアバターを使った仮想体験の中で、
「空想の自分」エゴという「限定波動」を創造して、
次々と内在化していったんだね
 
では、ここで、
「無いを無いにする」という話を思い出そう

「無いを無いにする」、、、とは、
もともと存在していないもの
、、、無いものを、手放すことによって、
もともと存在していなかった、無かったんだ
、、ということを知覚する、ということだった


「空想の自分」、、、エゴは無存在だった
だからエゴは
「自分が無存在だ」ということが
明るみになるのを、とても恐れているんだ
そうして、明るみにならないように
常に
抵抗しているんだ

だからね、、「迷子の幼子物語」で

無数の「空想の自分」について知ったあなたは、
まずは、次の様に言って、
自分を笑い飛ばしてしまうことが出来るだろう!
そうして、自分で自分を笑い飛ばすことが役に立つんだ


『まったくもう、笑っちゃうよな~
「光のイシキ」の私は、天国で迷子になって
「迷子の幼子」になったのか~、、


そうして迷子のままで、
幾万回も輪廻転生しては
幾万人も「人間のアバター」を創造したのか~

私ったら、めっちゃ
偶像崇拝」しちゃったね

それから今度は「人間のアバター」になりきって、
何万回もの「人間体験ゲーム」で、
無数の「空想の自分」エゴを創造したのか~

いやいや、私ったら
ホント、
無限しかできない無限野郎だったね~」

では、ここで、次のたとえ話も思い出そう
「あなたが、棚や料理を作ったとしても
それは、あなた自身ではない
あなたと、あなたの創造物は別物だ」

「空想の自分」も、この棚や料理とまったく同じだ
だからこそ、、、
たとえ
自分と一体化していて、
どんなに自分自身だと思えようが、
限定は全て、あなたの創造物なんだ

それを自分だと決め込んでいる限り、
それを手放すことが出来ない
だから言い張ることだ
「限定は全て私じゃない」、、、と

まるで、自分としか思えなくても、
「限定は全て私ではない」と、
あなたが決めることが役に立つんだ

「この感情は私じゃない」と決めることだ
「この考えは私じゃない」と
言い張ることだ
「この思い込みは私じゃない」と宣言することだ

そして「私は無限」「私は無限の存在だ」と決定する
前に伝えた、ジングルベルで歌う浄化を使ってもいい

「イライライラ、うんざりうんざり、
これは私じゃない、私じゃない、私じゃない
私じゃないよ、限定全て、私じゃない私じゃないよ
私は無限、私は無限、無限の存在だ」

言い方は何でもいい、
自分で好きなようにアレンジする
思いのままを歌いながら、宣言もするんだ

自分の創造物の「空想の自分」に主導権を渡すな!
それは棚や料理に主導権を渡すのと同じだ、と気づこう

では次に、自分が、
何に抵抗しているのかを
知ろう

そう、皆は、無限に抵抗するエネルギーを創造した
それは、創造主に抵抗している、ということになる
それがエゴなんだ
そこで「迷子の幼子物語」では、次のように言った
______________
さて、、「無限に抵抗する」状態、、とは、
どういったことか、たとえてみよう

それは、、、
大山脈とひとつの存在が、
自分を大山脈とは別の小石だと錯覚し、
大山脈に体当たりし、砕け散って砂粒になっても、
粉々になって
微粒子になっても、
まだやめないようなもの、、といえるだろう
_____________
全ては、無限への抵抗だ
それは、創造主への抵抗だった

無限だけが、、
創造主だけがあり、それ以外はない
そんな無限の中にいて、無限のままで、
皆は、創造主に抵抗する状態に陥ったんだ

想像してごらん、、、
波動の世界にいて、無限の存在が、
無限波動に抵抗し、
限定波動を活性化すれば、一体どうなるだろうか?

もちろん、気分が悪くなる
もしもずっとやってたら、すご~く気分が悪くなる

だが、それだけではない
波動が変性し、知覚が移行し、
無限が認識できなくなるんだ

それが、皆に起きていることだ
、、とはいえ、創造主は、
皆がどんなに無限に抵抗しても、
無限愛のままに、決して皆を見捨てたりもしない

皆は、天国から追い出されたりもしない
だって、すべてが天国なんだから
追い出しようがないんだよ、
ほんと、良かったよね~

皆は、永遠に天国にいるままで、
創造主は、皆が送り出すものを何でも現わし続け、
それそのものになりゆく

皆はいまもずっと
創造主の無限の天国の、
安全で安心な庭で
遊んでいる純粋無垢な幼子なんだ
だけど、迷子になっているんだよ

皆は天国で限定ゲームに夢中になっている
それでも「いいよ、いいよ」と笑ってる
そんな創造主の無限の愛に

もしもほんとに
気づいたならば、
皆はきっと、びっくり仰天するだろう

そんな無限の愛に抵抗するのは、
空に向かって唾を吐きかけるようなものなんだ
自分の顔の上に落ちてくるに決まってる

なのに、「バチが当たる」なんて
いつまで言ってるんだろう?
バチを当ててる、、、のは、一体誰なんだろう?

、、、それは、自分自身の限定思考と限定感情だ
だから、全部ひとり芝居なんだよ

罪も罰も、加害も被害も、
老朽も死も、危険も喪失も
空想の産物で、実在していない

自分のイシキが見ている夢の中でのみ
実際に起きているかのように体験できる
それが現実だと思い込んでいる限り、
その夢から出ようとは思わない
何度でも死んで生まれて繰り返すことが出来る

それは全部、無限に抵抗しているからなんだよ、
では、無限に抵抗しても無駄だ、、といつ気付くのか、
無限への抵抗を、、いつやめるのか、
いつ、あきらめるのか、

答は、、やりたいだけ続けられる
止めるのは自分、それだけだ

皆は無限に、抵抗し、恐怖し、錯覚した
時間幻想の中では、
経過がある物語として伝えるしかないが
どれもが同時進行だ

この、抵抗と恐怖と錯覚は、三つ巴になっている
では、楕円を描いて、円周の三点に
抵抗、恐怖、錯覚、と書いてみよう
楕円の中には無限、創造主、と書いてみよう

一度でも、自分で書いてみると
これが無限に抵抗している状態だ
、、と知ることが出来るだろう

あなたは、エゴを自分だと思い込んだまま
「限定の波動」を送り出す
創造主はあなたが送り出す波動になりゆく

創造主は、無限の愛のままに、ただ在るだけ、
でもね、もしも、あなたに話しかけるとしたら
次のように言うかもしれないね

「そうか、君はそのゲームを
もっと、ずっと、いっぱい、やりたいんだね、
君はずっと天国にいて安全だからね、何でも大丈夫だよ、

君は何を望んでもいいんだよ、
君が送り出す波動は、君の望みなのだから
私は何にでもなってあげるよ、

私は君と約束したからね、
私は君に自由意思を与えたからね、

そうか、君はそのゲームが
ほんとうに大好きなんだね、

私は無限の歓喜にいて、君を無限に愛しているから
君が大好きなことをやっているのが、とても嬉しいよ、

私は君を永遠に愛しているよ
私は君が望む何にでも、永遠になり続けるよ、
あはは~あはは~あはは~あはは」

さあ、どうだろう、、、
「実現を望まぬ波動」を送り出すのを
自分がめることが根本解決だ、、とわかるかい?

そして、限定波動を送り出すのをやめるには、
内在化したエゴを浄化することが
根本解決だ、、と
わかるかい?

エゴとは、無限に抵抗するエネルギーだ
だけど、無限に抵抗しても、無限は無限のままだ、
自分が送り出す波動が、ただ現れ続ける

だからね、次のことを、もう完全に理解しよう
「その状況で感じた波動を自分が浄化しなければ、
同じような感情体験を、自分が何度も創造する」

無限の中に限定は一切、存在していない
もしも、一瞬でも、ひとかけらでも限定があれば、
その瞬間に、無限は無限ではなくなる
だから、そんなことは絶対にあり得ない

全ては無限だ
そして、何から何まで、全ては創造主だ
光から物質まで、全ての構成要素は
アダマンタイン粒子だ

アダマンタイン粒子は創造主の体だ

創造主は無限の愛だ

だから、あなたは、いま、ここで、
天国のど真ん中、無限の愛の只中にいる

だけど、それが知覚できなくなっている
あなたは、無限の中にいて、無限のままで、

限定のエネルギーを無数に創造した

それは、まるで、空想のようなもの、夢のようなもの、
錯覚のようなもの、バブルのようなもの、だった

無数の限定波動で、バブルを強化し続け、
それをみんなで一緒にやったことで
「怖い夢、皆で見れば、なおさら怖い」ことになった

限定波動のバブルから、なかなか抜け出せなくなったんだ

あなたと人類の体験はリンクしている
皆は、人類という一つの集合イシキで
地球体験を創造している
自分の波動に無意識でいるならば、
人類波動からも常に受け取っている

人類皆で創造した限定波動は無数になった
「誰もが罪からは逃れられない」
という聖書の言葉があるが、
これも大きく誤解されている

罪は存在しない、
だが創造した限定波動は、
人類自身が浄化しなければならない

人類波動の浄化のために、様々な道を選んだ存在がいる
険しい道を生き抜くことで、
それを平安に変える存在もいる

だから、世界の苦悩を、

同情や悲哀としてとらえるのではなく、
人類のために、あなたに代わり、
その浄化の道を選んでくれた
「光のイシキ」の
勇気を称え、彼らの愛に謝するといいよ

そしてあなたも勇気ある存在だと知ろう
たとえ周りの皆が、
いまはまだ浄化に専念していなくとも、
あなたがやることで、皆の道が出来るんだ

あなたが浄化するならば、、、
それは人類の一人として、
人類創造の限定波動を浄化していることになる、
それが「ハチドリの一滴」だ

、、、とはいえ「人類イシキ全部かよ、大変だ」
なんて嘆かなくていい
自分自身が限定を活性化していることに
気づきさえすればいい

「もうキリがないな、
一体いつまで浄化すればいいんだろう」

、、、と皆はよく思う

そうだな、、その答えは
「そう言わなくなったら、そこから始まるよ」

だって、そこで感じている感情、考え、思いは
エゴだから、気づいて手放すものだ、
そして「キリがない」と無意識で決めている、
それじゃあ「キリなくやりたい」と
望んでることになっている
「先に幸せ、ただアソブ」を忘れてる

皆はよく思う
「何でこんなもん創っちまったんだ、
エゴは、なかなかしぶといな~」

ガイドたちは、こう言いたい
「そのと~うり、そりゃ~こっちのセリフだよ

だけど気づいてくれよ、それも全部、限定の考えだ
限定はあなたではない、
あなたの創造物、「空想の自分」、エゴだ」

だが、、、思うなとは言っていない、
自分の思いに、考えに、感情に、気づけ、と言っている、
そして、気づく度に、ただ
自分を許し、ただ手放す

さて、、だからね、
無限と波動が合うようになるには

ある程度までは、浄化が必要

でも「キリがない」なんて決めないことだ
自分の「決め」に気づくことだ
そして「大丈夫、大丈夫、簡単簡単」って
「上書き」することだ

それから、エゴは無存在だと思い出そう
だから、浄化にビビるな

たとえばだけど、、、
エゴで
何かを恐れていて、
そのエゴのこともエゴで恐れているんだよ、

そんな「たたみかけブロック」されていることに気づき「いや~、私ったら無存在のもの恐れてた~」
「無いものがこわいなんて、ありえな~い」
と笑ってしまおう

以前に「手放しの無限性」について
伝えたことがある
皆は無数のエゴを創造したので、
全部を浄化するのは無理だし、その必要
もないんだ、
ただ、活性化しなくなればいい

それでも「全部手放す」「絶対手放す」
という、あなたの決意や決定がいるんだよ

中途半端な決めや勢いでは、
自分が創造した「無数の限定」に追いつかない


じゃあ「無数の限定」って、一体どれくらいなのかな?

そうだな「人類の数×輪廻転生の数」くらいかな
ほぅらね、
無限しかできない無限野郎だろ?

だから、人類みんなで強化した
限定波動のバブルから抜け出すには
あなたの決意と決定が、何よりも重要なんだ

それでも「無限に合わせる」ことをしてゆけば、
やがて、自分の波動のバランスが
限定から無限へと移行するだろう
自分の波動の臨界点を超えるだろう


そうしたら、気づきが深まり、浄化も楽になり
手放すことも、あまりなくなるだろう

だから、浄化と共に
「自分の中心」の波動認証を超えるように
無限感の波動貯金を、毎日、根気よく続ける
「無限に合わせる、限定を手放す」
こと

さて、創造主は、無限の愛で、ただ在るだけ
だから、先のように言葉で何かを言ったりはしない
でもね、印象深くしてもらおうと言語化してみた

だから、エゴに騙されそうになったら、
創造主の笑い声を思い出すといいかもしれないね
それから「自分はいま、無限の中にいて無限のままだ」
「エゴは無存在だ」ということも思い出すことだ

そういえば以前、こんな言語化もあったね
「やったやった、ラッキーラッキー、
ついてるついてる、あははあはは」
これも習慣にすると、いいコトバだね
無限の歓喜に在る創造主と波動が合うからね

鼻歌もいいね
ジングルベルの音楽で
「嬉しい、良かった、ありがとう、愛してる」
というのもあったね

「こんな気分で言えない、歌えない」
なんて言ってないで
気持ちが落ちている時にこそやるんだよ
波動調整だからね
「ただ言う、ただ歌う」だけだ

朝起きた時、このような波動調整で始めれば
その日一日の波動の土台を決められるだろう
波動の土台が決まっていれば、
そこから離れたことにも気づきやすくなるだろう
そうして離れたと気づけばまた歌うだけだ
もし浄化が必要なら、方便を使い、ただ手放す

あなた自らが、自分の波動を変えようとしなければ
変わるわけがない
「私がやらなきゃ誰がやる」ってことだ


それから、創造主に全託することだ
それが、皆の、元々の、普通の、在り方なんだよ、

全託が普通、抵抗が特別
だって全ての全てが創造主なんだからね、
全託しかありえないんだよ、

だから、いまはまだ、よくわからなくても、
とにかく、ただ決める
「私は創造主に全託する」
「全託しかありえな~い!」ってね
 
そして、エゴ軍団の活性化で
なかなか気分がよくなれなくても、
あるがままでいればいい

「早く何とかしなくちゃ、限定波動送り出しちゃうよ~」
なんてアセアセしない
アセアセもエゴで、限定思考で、寄り道だ、
スピリチュアル情報も使われていて、
「たたみかけブロック」されてるだけだ

タイムラグがあるから大丈夫、
時間幻想があるからこそ、
手放せるのだ、、、と思い出そう

落ちついてるフリでもいい
そうしていれば、やがて、その内、必ず、
「無限か、限定か」という究極の問いかけがやってくる
そうしてあなた自身で選ぶところに来る

あなたは何を選ぶのか、
あなたの波動の選択で、あなたの体験が創造される
これは、永遠にね、、、
だから自分の波動に気づくことが大切なんだ

修行も勉強もいらない
必要なのは、知覚の移行だけだ
知覚できるかどうかは自分の波動次第なんだ

何もしなければ、何も変わらない
誰かが天国に連れて行ってはくれない
だって、すでに、天国にいるままだ

あなたは常に、完全完璧なままだ
ずっと、ライトボディーのままだ
そして、更に次元を上げたなら、あなたは光だ

自分が知覚できなくなっている
天国を見たい、実相を知りたい、知覚したい
という好奇心を持つといい

そして願望にとどまらず

波動変容の過程を推し進めることだ

いるのは根気だ
「無限の私」の根気と、「空想の自分」の根気と、
どちらが優位だと決めるのか
決めるのも、やるのも、あなた自身だ
 
エスより
____________

⑭迷子の幼子物語

アガパンサスブルー&アルストロメリアオレンジ


www.youtube.com

____________________
掲示セミナー⑭
★「迷子の幼子物語」

創造主は「無限の想念」の総体であり、
全体として、
ただ在り続けていた

創造主は、自分自身を観察し、
無限の自己愛に目覚め、無限の光となった
光は愛であり、全ては無限の愛となった

光となった創造主は、その光を無限に広げ、
無数の「光のイシキ」が生まれた

時はなく、
「光のイシキ」は、始まりも終わりもない
永遠の存在となった

生まれた
「光のイシキ」は無数だが、
光に分離分割はなく、子は一人だけ、、

「光のイシキ」が「私」と思うとき、、
全ての「光のイシキ」は、自分の部分となる
故に、
創造主の「一人子」だけが在る

創造主の「一人子」は、創造主の全てを受け継ぐ
純粋無垢な、全知全能の幼子であり、
自分もまた、無限の創造主だ

創造主の「一人子」は、
「創造主とひとつ」のまま、
「創造主に全託」のまま、

創造主の愛の天国で、無限の次元や、無限の領域で、
無限の体験を創造し、永遠に、遊び続ける存在だ

創造主は、無限の愛、無限の波動、無限の全体であり、
全ての全ては、創造主だ
全てとなりゆく「アダマンタイン粒子」は
創造主の体だ

そして創造主は永遠に
「一人子」が送り出す波動になりゆく
 
さて「光のイシキ」たちは、光の波動を下げて、
電磁場の中で、無数の太陽を創造し、
太陽から無数の惑星を創造し、
創造主はそれらに成りゆき、
無限の宇宙が創造された

「光のイシキ」たちは、光の波動を下げて、
電磁場の波動をさらに下げて、物質を創造し、
創造主はそれらに成りゆき、
光の物質化が創造された

「光のイシキ」の、ある一団は、
地球での物質化の創造を続け、
やがて、すべての食物連鎖が整った後、
「光のイシキ」たちが、地球で
創造した全てを
実感体感するための、人間の肉体を創造した

「光のイシキ」たちは、
幾度もの創造を重ね、人間の肉体を完成させ、
その体に入って「体験ゲーム」で遊び始めた

それは、、「光のイシキ」が、
幻想を使い、
「ひとつなる自分」を、別々のものとして体験する
「人間体験ゲーム」だった

その体験を続ける過程で、
「光のイシキ」たちは、
自分たち同士で、
様々な「限定波動」
の「定義と意味付け」を
決めるようになった

その体験を続ける過程で、
「光のイシキ」たちは、
「恐れ」を感じ、
様々な「限定波動」の「感情・考え」を
創造するようになった

その体験を続ける過程で、
「光のイシキ」たちは「無限波動」の天国で、
「限定波動」の「定義と意味付け」
「感情・考え」
創造し、持続したことから、
「無限に抵抗する」状態となった
 
さて、、「無限に抵抗する」状態、、とは、
どういったことか、たとえてみよう

それは、、、
大山脈とひとつの存在が、
自分を大山脈とは別の小石だと錯覚し、
大山脈に体当たりし、砕け散って砂粒になっても、
粉々になって
微粒子になっても、
まだやめないようなもの、、といえるだろう

「無限に抵抗する」状態となった
「光のイシキ」の「無限知覚」は、
「限定知覚」へと変性した

「光のイシキ」が抵抗したのは「無限」だった
だが、
全てが創造主で、全てが無限で、全てが愛で
それ以外は存在しない
だから、どんなに抵抗しても、
「無限は無限のまま」だった

そうしたら「光のイシキ」の知覚の方が曲がった
、、、というわけだ

これが、、「変性自我」
「エゴ範囲内の知覚」の始まりだ

こうして知覚は「限定知覚」へと変性し、、、
「光のイシキ」は、
天国にいて天国が見えなくなり、
創造主の愛の中にいて、
創造主の愛が感じられなくなった


「光のイシキ」は「無限の自分の愛」も見失い、
自分が、誰なのかも、どこにいるのかも、
よくわからなくなった

「光のイシキ」は、
「創造主と自分は別だ」
と思い込み、
「創造主への全託」から離れ、
「独立独歩」の体験へと入っていった


天国で「迷子」になった「光のイシキ」は、
恐れ、迷い、焦り、混乱し、絶望し、
それらの感情を創造し、内在化した

これらは「光のイシキ」が、
天国で迷子になったことで創造した、
「限定波動」の「感情エネルギー」だ

、、、では、これらの「感情エネルギー」を
「迷子の幼子」と名付けよう

「迷子の幼子」は、、、
「光のイシキ」
創造した「空想の自分」だ

「迷子の幼子」は、、、
「創造主の愛の天国」も
「無限の自分の愛」も知らない


「迷子の幼子」は、、、
恐れ、迷い、焦り、混乱し、絶望を感じている

「光のイシキ」は「迷子の幼子」を内在化したまま、
見失った「自分」と「居場所」を幻想世界に探した

「光のイシキ」は、
死を「自分の真実」とし、
輪廻転生しては「人間体験ゲーム」を続けた

 「光のイシキ」は、幾万回もの人生体験の中で、
幾万人もの「自分」と「居場所」を創造した

「光のイシキ」が創造した「自分」は全て、
「空想の自分」、、
ゲーム上のアバター」だった

「光のイシキ」は、地球の物質次元の
時代、国、性別、全てを、自分で選び、自分で決めて
輪廻転生を続け、
人生体験のたびごとに
自分で決めた「アバター」になりきった

だが「光のイシキ」は、「迷子の幼子」の
恐れ、迷い、焦り、混乱、絶望を
内在化したままだった

故に「光のイシキ」は、
「自分」と「居場所」を失うことや、
幻想体験の全てを、常に恐れていた

「光のイシキ」は、内在化した「恐れ」から、
人生体験のたびごとに、
「空想の自分」「エゴ」を無数に創造した
 
無数の「エゴ」とは、
限定波動の「感情考え」全てだ

こうして「光のイシキ」は、
天国で迷子になり、全てを見失い、
無数の「空想の自分」を創造し、
その全てを、自分だと思い込んだ

「光のイシキ」は
「空想の自分」、、
「迷子の幼子」となり
「空想の自分」、、無数のアバターとなり
「空想の自分」、、無数の「エゴ」となった

さて「エゴ」は全て
「限定波動」のエネルギーだったので
「無限波動」を、常にブロックする働きをする

だから「光のイシキ」は、
内に在る「無限の自分の愛」に
波動を合わせないように、
常にブロックされている

だから「光のイシキ」は、
自分と全て、、何から何までが、
光で、愛で、創造主で、無限であること、
自分がいま、天国にいることに、
気づかぬように、常にブロックされている

だから「光のイシキ」は、
瞬間瞬間やってきている
創造主の無限の想念、無限の波動を、
脳が受け取らないように、常にブロックされている

そうして「光のイシキ」は、いまもまだ、
自分と全ての無限を見失ったまま、、
「限定波動」を送り出し「限定体験」を創造している

そうして「光のイシキ」は、いまもまだ、
無数の「空想の自分」を自分だと思い込んだまま、、
死を「自分の真実」とし、
地球で
輪廻転生を繰り返している

これが、、無限の「光のイシキ」である、
あなたが創造している「迷子の幼子物語」だ

_________
自分探しの旅
 
さて、「光のイシキ」の皆さん、、
「迷子の幼子物語」、、どうだったかな?
この話も、言い方や視点を変えてはいるが、
何度かしてきたものだね

「創造主の愛
天国」で迷子になった
この「迷子の幼子」とは、
全ての人類のことなんだ

人々は「迷子の幼子」の感情を内在化したままで、
幻想体験の中で「自分探し」「居場所探し」
をしているんだよ

人々は、自分のことを
人間にしかすぎない」、、と思い込んでいて、
いろいろ学んで、いろいろ手に入れて、
いろいろ守って、
周りに受け入れられて、
何とかして、この世を生きていかなければならない、
、、と感じているんだよ


人々は「自分」と「居場所」を探し求める
「自分探しの旅」などと言うものもある
人々は「自分」や「居場所」を守りたいと思う

人や世間から、自分を否定される、受け容れられない、
無視される、仲間外れにされる、認めてもらえない、
ことを、とても恐れている

人と争いになって、居場所を奪われる、
居場所を追い出される、居場所がなくなる、
居場所を失う、ことを、とても恐れている

だから、人と
もめないように、
怒りや憤りを我慢したり、、
人にさとられないように
悲しみや苦しみに
耐えたりしている

その全てが「自分の創造」だと気付かぬままに、、、
内在化した「恐れ」や「自己否定」といった
「限定感情」を手放さない
ままに、、、
「限定体験ループ」を繰り返しているんだよ

でもね、、「光のイシキ」の皆さん、
幻想世界の中での「自分探し」「居場所探し」なんて
実際には、、、ちゃんちゃらおかしいんだよ

幻想世界の全ては、自分自身なんだ

あまりにも全部なので、見つからない、
幻想世界の全ては、自分の居場所なんだ
あまりにも全部なので、気づかない、
 
「光のイシキ」である自分自身が投影している
「オリジナル認識宇宙」なのだから、、、
「我在り、、故に、全てが在る」なんだよ

だが、ほとんどの人が、
「世界が在り、その中に自分がいる」
、、と思い込んで
いる
それは「あべこべの錯覚」なんだよ

全てが、「光のイシキ」の投影なのだから、
全てが自分なのに、、、

自分が創造した「空想世界」に
「自分」と「居場所」を
探し回っている

そして、、「空想の自分」と「空想の居場所」を
失うことや、「空想世界」の全てを恐れているんだ
だから、ちゃんちゃらおかしい、、と言ったんだ

この世で築き上げた、自分が、
この世で手に入れた、居場所が、
立場や地位や人生が、
お金やものや誰かが、
自分と誰かの、健康が、命が、
失くなったらどうしよう、怖い
、、、などと感じている

人々は、そんな風に恐れながら
「生存と死」、、、
「この世を生きること」と「いつか死ぬこと」
に、
自分のイシキの全てを注いでいるんだ

だけどね、、「この世を生きること」とは、
「光のイシキ」が
アバター」で参加してアソブ、
「人間体験ゲーム」なんだよ

それにね、、「いつか死ぬこと」とは、
「光のイシキ」が錯覚で創った
「死のゲーム」なんだよ

そうだな、、それは
ゲームクリエーター光のイシキ」が創作した
「人間アバターバージョン・死のゲーム」だね
輪廻転生ステージ3万くらいになってる
ゲーマーもいるらしいよ

では、、なんで、そんなにも、恐れるんだろう
「迷子の幼子物語」を一緒に見てみよう

そう、、「光のイシキ」は、天国で
全てを見失い、
「迷子の幼子」となったんだね

「光のイシキ」は、内在化した迷子の幼子」によって
幻想世界で
「自分」と「居場所」を
探す旅を続けていたん
だね

そうして、「自分」と「居場所」を失うことや、
幻想体験の全てを、恐れるようになったんだね

だけど本当は、あなたは「光のイシキ」だった
「迷子の幼子」は「空想の自分」だった

「光のイシキ」は、創造主の愛の天国で、
「自分探しの旅」をする、夢を見ていただけだった

「光のイシキ」は、
地球の物質次元の
時代、国、性別、全てを、自分で選び、自分で決めて
輪廻転生を続けていただけだった

「光のイシキ」は
人生体験ゲーム」のたびごとに
自分で決めた「アバター」になりきった
だけだった
 
さあ、あなたは「光のイシキ」だ
全ては、
創造主の体である、
「アダマンタイン粒子」が成りゆく世界だ

物質というものは、光の一形態なんだよ
だから、
あなたが現実だと思っているのは、
光が成りゆくカタチの世界なんだよ

そして、光に分離・分割はなく、すべてはひとつだ
だから「光のイシキ」である、あなたにとって
全ては、自分自身だったんだ

「自分」と「居場所」は

もうすでに、ずっと在った
、、、それは、内なる「無限の私」
そして、本当に感じたいのは
「無限の私の愛」なんだ


誰もが皆、「光のイシキ」で、
誰もが皆、永遠に天国にいて、
誰もが皆、無限の存在なんだ

誰もが皆、創造主の一人子で、
誰もが皆、完全なままで、
誰もが皆、永遠なのだから、死も消滅もあり得ないんだ

だからこそ、「光のイシキ」である私は、
「人間イエス」となって、
「十字架の道」で
「死の超越」をやって見せたんだよ

それは、私の部分である「光のイシキ」の皆に、
自分たちの無限性に、気づいてもらいたい、
無限の体験に還ってきてもらいたかったからなんだ

さあ、「光のイシキ」たちよ、
「自分と居場所は、無限の私」
「私は無限の私の愛でいる」
それを真っ先に決めて、真っ先に
そこに戻ることだ

「無限の私の愛」が、自分の居場所として
完全に定着するまで、、
「無限に合わせ、限定を手放す」ことだ
「自分の中心」に沈み、自ら体感することだ

さあ、「光のイシキ」たちよ、
全ては光だ
光に、分離、分割はない

「全ては光」「全ては私」だ
幻想世界の全ては、わたし自身だ
幻想世界の全ては、わたしの居場所だ

さあ、「光のイシキ」たちよ、
幻想を幻想と知って、ただ遊ぼう

時間幻想を超える「いま」
空間幻想を超える「ここ」
分離幻想を超える「わたし」
極性幻想を超える「全ては我」

さあ、「光のイシキ」たちよ、
「いま、ここ、わたし、全ては我」


エスより、、、つづく
____________________
★宣言と決定
では、今回の話からは、

次の様に宣言と決定をしてみるよ
自分でも気づきがあれば加えて欲しい
___________

私が体験しているのは、
「光のイシキ」である私が、
幻想を使い、
「ひとつなる自分」を別々のものとして体験する
「人間体験ゲーム」だ、と私は知っている

私は「人間体験ゲーム」を手放す、と決めた

私は、地球の物質次元の時代、国、性別、全てを、
自分で選び、自分で決めて、

輪廻転生を続け、人生体験のたびごとに
自分で決めた「アバター」になりきった、と知っている

私は「輪廻転生」を手放す、と決めた


私は「人間体験ゲーム」の中で
「迷子の幼子」アバター「エゴ」という、
無数の「空想の自分」を創造した、と知っている

私は、自分が「空想の自分」を創造し、
自分だと錯覚したことを、
全て受け容れ、許す、と決めた

私は、自分が創造した、全ての「空想の自分」を
癒し、手放す、と決めた

④私は「迷子の幼子」となって
幻想世界に「自分」と「居場所」を探す
「自分探しの旅」をしていた、と知っている

私は「自分探し」と「居場所探し」を手放すと決めた
私は「自分がなくなる」「居場所がなくなる」
恐れを手放すと決めた

⑤私は、全てが「自分の創造」と気付かぬままに、
内在化した「恐れ」や「自己否定」といった
「限定感情」を手放さない
ままに、
「限定体験ループ」を繰り返していた、と知っている

私は、全てが「自分の創造」だと決めた
私は「恐れ」と「自己否定」を、全て手放すと決めた

⑥私は、全てを恐れながら、
「この世を生きること」と「いつか死ぬこと」
に、
イシキの全てを注いでいた、と知っている

私は「この世を生きる」と「いつか死ぬ」を
手放すと決めた
 
⑦「自分と居場所は、無限の私」、と私は決めた
「私は無限の私の愛でいる」、と私は決めた


「無限の私の愛」が、自分の居場所として
完全に定着するまで、、
「無限に合わせ、限定を手放す」と私は決めた
「自分の中心」に沈み、自ら体感する、と私は決めた

⑧物質は、光の一形態だ
私が現実だと思っているのは、
創造主の体である「アダマンタイン粒子」
成りゆく
カタチの世界だ

光に分離・分割はなく、すべてはひとつだ
「光のイシキ」である私にとって、全ては私だ

これは全て、私の真実だと決めた

⑧「我在り、故に全てが在る」と、私は決めた
私が体験している世界は
「光のイシキ」である私が
投影している
「オリジナル認識宇宙」だ、と私は決めた

 
全ては、わたし自身、と私は決めた
全ては、わたしの居場所、と私は決めた

「世界が在り、その中に自分がいる」
この「あべこべの錯覚」を手放す、と私は決めた

⑨時間幻想を超える「いま」
空間幻想を超える「ここ」
分離幻想を超える「わたし」
極性幻想を超える「全ては我」

「いま、ここ、わたし、全ては我」

これは全て、私の真実だと決めた
__________
★浄化ワークと瞑想ワーク

以下の感情、観念を、前回伝えた「映像浄化」、
または自分の好きな浄化法で手放してください
(誘導は、文章化せず、直接録音します)

①「自分探し」
「居場所探し」

②「自分がなくなる」
「居場所がなくなる」

③「自己否定」
「他から否定」

「人間ゲーム」
「輪廻転生」

⑤「この世を生きる」
「いつか死ぬ」
_______________________
★認識の移行ワーク

浄化と瞑想のビジョンとして使いますので
以下の説明を聞いて、描いてください
自分で描くことが大切です

★1・「人間の自分」の認識図
「世界が在り、その中に自分がいる」
を描く
__________
①5㎝以上の大きな円を描いて、
その真ん中に1cmほどの小さな円を描きます

②小さな円の中か、すぐそばに、
「肉体、人間」と文字を書きます

③大きな円の中には「世界、物質」と文字を書きます

④大きな円の外には「宇宙、物質」と文字を書きます
____________
★2・「光のイシキ」の認識図
「我在り、故に、全てが在る」
を描く
____________
①5㎝以上の大きな円を描いて、
その真ん中に、点を描きます

②真ん中に描いた点の、
5㎜から1cmほどのすぐそばからから、
光の矢印を、四方八方に向けて描きます
矢印は円を通過して描いてください
矢印は、大体7~8本くらい描けばいいでしょう

③円の中には「光、無限」と文字を書きます
円の外には「光、無限」と文字を書きます

④円の外の文字のそばに
「全てアダマンタイン粒子」
「全て創造主」と書きます
____________
★「人間の認識図」を、前回伝えた「映像浄化」
または自分の好きな浄化法で手放してください

★「光のイシキの認識図」で瞑想します
(誘導は、文章化せず、直接録音します)
 

⑬映像浄化

オダマキ(タワーシリーズのピンク&ホワイト)と
フロックス・ブルーパヒューム


www.youtube.com


_____________________
掲示セミナー⑬
「恐れの浄化」④
映像浄化
_____________________
★「光のイシキ」で浄化する

あなたは「全てとひとつ」の「光のイシキ」
あなたは「無限の存在」である「光のイシキ」だ
「無限の波動」が、あなた本来の波動だ
「無限の体験」が、あなた本来の体験だ

さあ、「光のイシキ」の皆さん、、
これは、私たちが知る、あなたの真実だ

あなたは「幻想体験」の中で、
自分が「光のイシキ」であることを忘れ、
自分は「人間」だと思い込んだ

自分を「人間」だと思い込んだあなたは、
光には分離、分割が無く
「全てとひとつ」だと忘れ、
「自分の一部を切り離す」抵抗と
「自分の一部にしがみつく」執着を
無数に生み出した

それが「限定の自分」エゴだ
それが「限定の波動」だ
そして「限定の波動」を送り出すことで
「限定の体験」が創造される

さて、「光のイシキ」の皆さん、、
「エゴあるある」なんだけど、、、
自分は「全てとひとつ」と知識で理解していても
それは、単に一つの「アイデア」にしか過ぎない、

「全てとひとつ」を頭で理解し、
思考と論理で目覚めようと、情報を勉強する

「全てとひとつ」と言いながら、

「自分とひとつ」の何かや誰かへの
抵抗や執着を、手放さないでいる

「無限の存在」と言いながら
無限に波動を、合わせないでいる

「永遠の存在」と言いながら
「死のゲーム」から抜けないでいる


こういった「目覚めない程度のスピリチュアル」
は全て、、エゴによるものなんだ

「光のイシキ」の皆さんは、
それほどまでに、
エゴを自分だと思い込んでいるんだよ
「限定の自分」エゴさんは、それほどまでに、
無限局チューニングをブロックしているんだよ

それでは、自分の波動を「無限の波動」に戻せない
自分の体験は「無限の体験」になりゆかない


波動が変わらなければ、知覚の移行は成されない
「全てとひとつ」という実感
体感感じられない
 
波動が全てだ
あなたが「限定の波動」に在るならば、
知覚は極小の一点絞られ、
「エゴ範囲内の知覚」となる
 
あなたが「無限の波動」に在るならば、
知覚は無限の波動領域となり、
「光のレベルの知覚」となりゆく
 
無限を知覚するには、あなたの波動を
「光のイシキ」の「無限の波動」に戻すことだ
それには「無限に合わせる、限定を手放す」
を続けることだ


では、今回は浄化についてなので、
「限定を手放す」ことで、
あなたの波動変容の過程を進めよう

さあ、「光のイシキ」の皆さん、、
あなたは、自分自身でもある、その光を使って
「オリジナル認識宇宙」を投影している
あなたは「全てとひとつ」であり、
全てはあなたの投影だ

だから、自分が認識している世界の中で、
自分自身が、、、気になる、引っかかる、
巻き込まれている、関係している、
違和感を感じているならば、、、
それらは全て、あなたが手放すところなんだ

浄化するのは、空想した「限定の波動」だ
自分自身に対しての否定や批判も含め、、、
世界、社会、テレビの情報、人、家族、
見て、聞いて、味わって、感じて、
あなたが体験している全てだ

「光のイシキ」は「全てとひとつ」
故に、、
「自分の一部を切り離す」抵抗と
「自分の一部にしがみつく」執着に
気づいて、浄化することだ

さあ、「光のイシキ」の皆さん、、
あなたには「波動センサー」が備わっている
それを使うことだ

自分自身の、気づきと選択と決定、

まず、自分の「違和感」に気づかなければ、
何も始まらない

自分のイシキを、内なる無限の波動に合わせていれば、
「波動センサー」で限定に気づく
これを「ハート」「源」「自分の中心」
「無限の私の愛」など、様々な言い方をしてきた

気づくことが出来れば、
次は選ぶこと、決めることができる、
そうやって浄化が進む

自分のイシキを、
あなたが
「現実」と思い込んでいる
「幻想体験」に合わせていれば、、、
波動を限定に合わせているので気づかない
そして、マインドは逆転モードとなる

見えない波動が実在だ
見えている現実が幻想だ
だから「あべこべ」だと気づき、
何度でも、そう決めることだ

そして、「光のイシキ」の皆さん、、
あなた自身の波動の臨界点を超えるまで、

「全部やる」、、、という決意がいる

どこで、自分の波動の臨界点を超えるかは、
やってみなければわからない
歩んでみなければわからない

では、浄化の視点も、変えてみよう
これまでは、自分を「人間」だと思い込み
あなたは、浄化に取り組んでいたのかもしれないね

ここからは「光のイシキ」の立ち位置でやってみよう
たとえば、次の様に、、

私は
「光のイシキ」だ
私は「全てとひとつ」だ
私は「無限の存在」だ
「無限の波動」が私本来の波動だ
「無限の体験」が私本来の体験だ

そうだった、そうだった
わたしは「光のイシキ」だった~
それを知覚すると決めたぞ~

そうだ、そうだ
「無限に合わせる、限定を手放す」だ、
私は
「光のイシキ」として
波動変容を、ただやろう
____________________
★「見せしめ効果」と「伝言ゲーム」

さて、この「映像浄化」は、何にでも使えるが、
ここでは「恐れ」を
例にしてみよう
「恐れ」は、人類の「恐怖映画」創造の
根本原因となっているからね

さて、「光のイシキ」の皆さん、、
あなたは、自分の魂に、
あらゆるフィーリングを、常時、保存している
また、あなたは、自分の魂から、
あらゆるフィーリングを、常時、出して使っている

魂とは、、そういう働きをするものであり、
これらは無意識のままに、常時、行なわれている

魂なしでは、体験自体が創造できない
無限の体験であれ、限定の体験であれ、
それは同じなんだよ

魂は、無限の保管庫であり、
保存された「フィーリング」は永遠に失われない
ただし「限定」を浄化すれば、
「フィーリング」を知ってはいるが使わなくなる

そして、やがて、いつか、
魂に保存された「フィーリング」の全てが、
この体験を、通過しなければ得られない
恵みだった、、と知るだろう

さて、「光のイシキ」の皆さん、、

あなたはいま、様々な「限定の体験」を通して、
また、様々なビジョンやイメージを「見ること」で、
自分の魂に、様々な「フィーリング」を保存し、
また、出して使ってもいる


「恐れ」も同じだ

そして「恐れ」は、特に「見ること」で、
強化されやすく
「洗脳」もされやすい

「百聞は一見にしかず」、、というコトバがあるが、
「見ること」は、イメージやビジョンを通しての
強烈な印象を与えるからだ

「見せしめ」、、というコトバもあるが、
「恐れ」は
「見る」ことで、人から人へと感染してゆく
そういった場面で、皆は、、前回、話した
「波動の同調、共鳴」や「同情エゴ」も使っている

そういう目にあっている人の波動と、同調、共鳴し、
「恐怖の幻影」の、気の毒な状況に同情し、
「恐れ」は、人から人へと感染してゆく

その「恐怖の幻影」への参加者が、
多ければ多いほど「恐れ」の感染は広がってゆく
これが、、「見せしめ効果」なんだ

そうして、人類全体で
残酷で、悲惨で、情け容赦のない「恐れビジョン」を、
無数に植え込み、洗脳し合い、
人類の、、記憶喪失、自作自演の「恐怖映画」が
創造されているんだよ

さあ、「光のイシキ」の皆さん~
先に話した、イエスの「十字架刑」も
民衆の目の前で、大々的にやって見せて、
「逆らう輩」を排除するための「見せしめ」だった

残酷で、悲惨で、情け容赦のない
「恐れビジョン」を、人々の脳裏に植え込んで
「見せしめ効果を狙ったんだ

そうして、いまも、
死と恐怖を強調した十字架像を
世界各地に掲げて
「見せしめ」として使っている

でもね、その「見せしめ」の場に於いて
私が「死からの復活劇」をやって見せたのは
「見せしめ」を逆手にとったわけではないんだよ

人類エゴの「恐怖の幻影」に反抗し、
真実を「見せしめ」て「してやったり」と
得意になったわけではないんだ

「敵はいない」
錯覚している存在も含め、誰もが皆
「光のイシキ」だ
誰もが皆、自分の光の一部であり「全てはひとつ」だ

光のレベルを認識している存在であれば、
その知覚にいるんだよ

私は「光のイシキ」である皆に
無限の
選択肢があることに、気づいてほしかった
そのため、皆の無限性の、ごくごく一部を
やって見せた
だけだ

さて、「光のイシキ」の皆さん、、

もしもあなたが、私と同じように、
「光のレベル」を認識していたら、どうだろう

あなたもきっと私と同じように、
そんな夢を見ている「自分の一部」に、
皆は「光のイシキ」で、無限の選択肢がある
、、と、気づいてほしくなると思うよ
 
さて、「光のイシキ」である皆さん、、
人類のエゴは
いまではテレビやネットや
様々なメディアを通して

この「見せしめ効果」を狙っているんだよ

皆で「見ること」「聞くこと」「読むこと」
「感じること」で、、「恐れビジョン」を
無意識選択、無意識決定で、日々刻々植え込み
人類全体で、「恐怖映画」を創造している

一人一人も、人類と共に
「限定の夢」を
体験することに
無意識選択、無意識決定で、同意している

さて、「光のイシキ」の皆さん、、
ここには「伝言ゲーム」も含まれているんだよ

「伝言ゲーム」、、、というものは、
人から人へと語り継がれるうちに、
話がどんどんと変わってゆくよね

「話を盛る」ってことも、よくあるよね
いかにインパクトがあったか、
いかに「エモい」か、、、自分の感情を揺り動かす
エモーショナルな体験だったか、、

話している内に、どんどん盛って、
どんどん膨らんで、どんどん変わってゆく
特に、ネガティブなものは、強調されやすい
そうして「恐れ」の感染が広がってゆく

個人的にも、大々的にも、、、
テレビやネットや
様々なメディアを通して
「伝言ゲーム」をやっている
そこには、皆の注目を集めるための、
インパクト、デフォルメ、切り取り方、編集が
加えられているんだよ

戦争、不況、自然災害、不安定な天候、ウィルス感染、
病気、老い、死、事故、などの「恐れ」全て同じだ

さあ、「光のイシキ」の皆さん、、

「光のイシキ」たちは、自分たちのことを
「人間だ」「人類だ」と思い込んだまま、、、

テレビやネットや様々なメディアを通して、
それらを日々刻々強化しては、、、
「恐れの波動」を宇宙に送り出し、
「恐れの夢」を創造し「恐れ」を
実現化し
それを繰り返し
ているんだよ

「光のイシキ」に「死」はあり得ないのに、
死を
「自分の真実」とし
「死のゲーム」から抜け出さないでいるんだよ

「恐れ」はウィルスよりも感染力が強い
人類はすでに「恐れウィルス」に感染していて、
無限を見失っていて、
「恐れ」
の夢から抜け出せなくなっているんだ

人類は
最近、テレビやネットの
「見せしめ効果」と「伝言ゲーム」で
ウィルスを恐れていたが、
もうすでに「恐れウィルス」に感染していて、
もうすでに「無限を見失っている」ことを、
もしも知ったなら、

「あ~それな~、
確かに、ウィルス恐れてたわ~
そんなもん、恐れてる場合じゃない、
だって、もうすでに、恐れウィルスに感染してて
「光のイシキ」なのに、人間だと思い込んでたわ~」

「自分は、無限の「光のイシキ」なのに、
無限を見失い、無限
体験できなくなってたわ~
そうか、では、それを全部、浄化しよう」
、、と決心できるかもしれないね

では、「光のイシキ」の皆さん、、
自分と人類の、エゴさんたちの
「見せしめ効果」と「伝言ゲーム」によって、、、


「恐れビジョン」を無数に植え込み、
自分で自分を洗脳していたと知ろう
魂にも自動的に保存し、出して使っていたと知ろう

植え込み、洗脳した
恐怖のイメージやビジョンは、
全て浄化すると決意しよう
そして、魂に保存された「限定」のフィーリングを
使わないレベルへと移行しよう

では、今後
見たもの、聞いたこと、感じたもの
なども、即効やろう

さあ、「光のイシキ」の皆さん、、
自分は「人間」だと思い込んで、
「人生劇場」の舞台でも、色々創ったと知ろう

だから、幼少期からの、自分の人生全体も

内観し、ハートでスキャンして
恐怖のイメージやビジョンがあれば、全て浄化しよう

「恐れを恐れよ」、、を思い出そう
内在化したままでは、自分の体験に現れる
波動上昇の時代には、現象化も早くなる
見ないようにするのではなく、全て浄化しよう

波動上昇の時代には、ささいな限定も
内在化できないレベルまで、浄化が促進される
苦しみを体験する前に、気づいて浄化しよう

自分で実際にやれば、自分の錯覚がどいて
「本当のこと」が見えてくる

一方「まあ、大したことない」「それほど怖くもない」
「これくらいは仕方ない」「ま、そんなものだ」
などとエゴで言って
実際にやらなければ、錯覚したままだ

さあ、「光のイシキ」の皆さん、、
あなたの錯覚は、あなたが外すことだ
「エゴ範囲内の知覚」からは
自分自身で出てくることだ

、、、それが浄化だ

エゴは、あなた自身なので、
うっかり見逃すものだ
どのくらい自分が騙されているか
手放してみて、初めて、見えるものだ
それが「目の中の大きな梁」だ

だからね、、「光のイシキ」の皆さん、、
どんな小さなことも、絶対やる、変わるまでやる
、、という、あなたの決意が、とても大切なんだよ
 
**********
映像浄化のやり方

①映画の一場面や、
アルバムの中の1枚の写真の様に、
その場面、人、状況などを
イメージ、ビジョン化する

その映像に、入り込まなくていい
「ふわ」っと思い浮かべるだけでいい

何を浄化するかは
「内観」したり「ハートでスキャン」で選ぶといい

②私は
絶対にこれを、浄化する、手放す、ゼロにする、
などと、自分の中で、きちんと、決意、決定する

③目を瞑り、映像を思い浮かべたまま、歌で浄化
あるいは、他の様々な浄化法で試す

「何を浄化しているか」焦点がずれないように
コトバにして浄化するといい
10回やる、などと決めてやるといい

映像が薄れるように、削り取るような感じで
浄化するといい

やるごとに、映像がどんどん
薄れる、消えてゆく、
削られる、
などと、自分の中で決めて浄化する

④浄化したエネルギーを再び集めてまとめて、
「無限の私の愛
で光に還す

「あなたを創ってごめんね、許してね、
今までありがとう、愛してるよ」
、、と声をかけながら、あるいは思いながら
呼吸と共に、光へと解放する
3回ほどやる

⑤映像を確認し、イメージやビジョンが、
薄れたり、なくなっていればOK
__________
★補足
葬式、病院、略奪、原爆、収容所、地震津波
苦手な虫、嵐や台風など荒れた天候、火災
などの「恐れ」ビジョンと共に、
他の何にでも使ってみよう

場所、人、思い出、
コトバや文字の浄化(見せしめ、不安、心配、錯覚,
不足、貧乏、危険、など)
人生全体、肉体、
お金、性、など、何でも試してみよう

中には、「恐れ」を求めるエゴや
「恐れ」をやめると危険だというエゴや、
思い出を失くしたくないエゴがいることもある

自分自身で気づくことが大切だ
浄化は、気づきと選択と決定だ
気づくことが出来たなら、それも浄化する


さあ、「光のイシキ」の皆さん、、
あなたは無限、無限は無限のまま

無くなるものなどない
浄化して困るものなどない、
全てゼロにして大丈夫、
思いつくものを全部やろう

**********

では、試しに「イエスの十字架像」を始めとし
「恐れ」のビジョンやイメージをやってみよう
今後、詳しく伝える浄化法
使ってみる
簡単なので、いまからすぐにでも、使ってゆこう

さあ、「光のイシキ」の皆さん、、
浄化は、気づきと選択と決定だ
エゴを、乗り越えるには、

「無限の私の愛」で、決意し、思い切ることだ

、、、イエスより、
___________________
★映像浄化の練習
(誘導は文章化せず、直接録音します)

_____________________

⑫「無限の私の愛」でいる

 
⑪の続きになります


www.youtube.com


____________________
掲示セミナー⑫
「恐れの浄化」③「無限の私の愛でいる
____________________
★波動の同調&同情エゴ

さて、、「恐怖映画」となった幻想体験の中で、
あなたは、何を自分の真実とするのだろうか?
「あなたの真実はあなたが決める」
あなたが決めなければ、何も決まらない

また、あなたが
「自分の創造だ」と決めなければ、
あなたには、何も変えることが出来ない

そして、人類の「恐怖映画」に、
同調し、、同情していては、
「死のゲーム」からは抜けられない

「限定の波動」に同調、共鳴し、
「恐怖映画」に、個々のエゴで同情することで、
人類全体で、記憶喪失、自作自演の
「恐怖映画」を創造し続ける
、、、それが、人類全体のエゴなんだ

では、この「波動の同調、共鳴」と
「同情エゴ」について知ろう

**********
①波動の同調と共鳴

あなたは「光のイシキ」であり、
物質体験とは、あなたの「イシキが見ている夢」だ
光に分離、分割はなく、あなたは
全てとひとつ」だ

「全てとひとつ」の
あなたは
他の存在の波動や、様々な波動と、同調し共鳴する

そこで、あなた本来の「無限の波動」に
同調し共鳴するならば、、
あなたは「いい気分」となり、
マインドは「正常モード」で働き、
ひらめき、洞察、フィーリングを、思考に変換する

考えるまでもなく、
「ただわかる」、、という感じだ

一方、空想した「限定の波動」に
同調し共鳴するならば、
あなたは「嫌な気分」となり、
マインド
「逆転モード」で働き、
限定の「思考と論理」で「あれこれ」言い始める

そこから「限定局」とのチューニングが、
ひっきりなしに続く
また、あらゆる考えが、ひっきりなしに差し込まれる

空想した「限定の波動」との同調と共鳴は、
波動の「無意識選択、無意識決定」といえる

そして「限定の波動」と
同調し共鳴するならば、
あなたは「エゴ範囲内の知覚」となる

**********
②同情エゴ

同情は、エゴだ

第2チャクラのエネルギーなので、
心配や不安、、などとリンクしている

同情は「限定の波動」なので、
「限定局」とのチューニングが、ひっきりなしに続く
あなたは「嫌な気分」となり、
マインドは
「逆転モード」で働く

あなたは「エゴ範囲内の知覚」となって
あらゆる考えが、ひっきりなしに差し込まれる

また、自分の体験にも影響する
たとえば、誰かの不幸と混乱」「不足と喪失」
「病気と死」などに同情すれば、、、
それは、あなたの波動選択となる
注目し選択し続れば、あなたの体験となって現れる


以前に「ヒーローエゴ」の話をしたことがある
「人を
助けたい救いたい」という思いは、
その始まりは「無限の私の愛だろう

だが多くの場合「問題のレベル」にいるままに、
「何とかしよう」として、、
「無限の私の愛
から出て「エゴ範囲内の知覚」に入る

そうして多くの場合、
敵や悪者を創って
「ヒーローエゴ」で「正義の戦い」を始める

「問題は問題のレベルでは解決されない」のにね
これはね、、「問題のレベル」とは「限定の波動」
だから、問題は「限定の波動」では解決されない、
ではどうする?、、「無限の私の愛
でいろ
、、、ということになるんだ

さて、、、メディア、ネット、ニュース、
などの映像や情報で、、
人類と世界の「不幸と混乱」「不足と喪失」
「病気と死」などに注目し、人々は次の様に言う

「何て、ひどい有り様だ」「かわいそうに」
「気の毒で、目も当てられない」
「何とかしてあげたい」
「神も仏もない」「イエスや釈迦は一体何してるんだ」
「酷い話だ」「悪い奴らを野放しにはできない」
「糾弾し責任を取らせるべきだ」「絶対に許せない」

人々は「無限の私の愛」から出かけ、
「限定の波動」と同調、共鳴し、
「エゴ範囲内の知覚」となる

人々は、記憶喪失、自作自演の「恐怖映画」を
実在だと思い込み、、「同情エゴ」になる

だが、もう、気づこう、

限定の波動」との同調と、同情エゴは、

自分と人類の「恐怖映画」を永続させるだけなんだ

また、何かや誰かと戦う必要がある
、、と思っているならば、、、
「全てとひとつ」の自分を、敵と味方に分けて戦う、
エゴの「死のゲーム」から抜けられない

何故なら、、、「ゲーム
続行」が、
あなたの望みとなっているからだ

「人々の悲しみ、苦しみを見てみぬふりをしろ」
、、などとは言ってはいない

「波動が全て」と覚えておこう
解決は常に、、「無限の私の愛
」でいる
その在り方のままで、、そこから出ないで、、
あなたに出来ることを、何であれ「ただやる」ことだ
 
あなたは人類」という一つの「集合イシキ」でも
地球体験を創造している

もしも、人類と地球の平安を望むなら
「無限の私の愛」でいて、平安を感じている人が、
人類の臨界点を超えることだ

だからこそ、あなたが

「ハチドリの一滴」「バタフライ・エフェクト
をやることは、、、
必ずや、人類の「平安の波動」の
臨界点を超える
、、その、礎となる
 
さあ、「記憶喪失」から抜け出そう
「恐怖映画」の自作自演を思い出そう

「恐怖」は「恐怖」を生み出し続ける
怖い夢は、皆で見れば、なおさら怖いことになる
それがいま、あなたが見ている「限定の夢」なんだ


波動が全てだ
「限定の波動」に、同調、共鳴するな
「恐怖映画」に、エゴで同情するな
 
そんなことが起こる人類の現状を、
真に何とかしたい、、と思うならば、
あなたの、その愛を「無限の私の愛
にする

同調&同情を使う、人類エゴを読み切るんだ
読めたら、もう相手にするな
歯牙にもかけるな

注目すれば、皆はまだ、影響され、
自分もまた「エゴ範囲内の知覚」となる

エゴの浄化とは、、、
「無いを無いにする」ことだ、、と思い出そう
「恐れ」はエゴだ、エゴは無存在だ


無いものとは、、、錯覚であり、
「錯覚している自分」とは、エゴだ
そして、錯覚しているのは、自分なのだから、
自分の錯覚は、自分が浄化することだ


「恐怖体験」
「無限体験」か
「死のゲーム」か「死の超越」か
「あなたの真実はあなたが決める」

決めたら、何度ぶれても、自分を許し、
「自分の決定」に戻り続け、ただやる


無意識選択、無意識決定は、やめる
波動が全てだ
「無限の私の愛
でいる
 ______________________
★「無限の私の愛でいる

あなたはいま、限定の夢の中にいる
それでも、あなたはいま、自分の中心の
「無限の私」の「愛の波動」を選ぶことが出来る

私が、イエスとしてこの世界に生まれ、
人間として生きた時、、
私は「
創造主とひとつ」で在り続けた
それは「無限の私の愛でいた、、ということだ
 
その在り方でいたからこそ、
「ハートの指令を取り戻す道」
も敷けたし、
「十字架の道」も、やって見せることが出来たんだ
では、これについて、前回の話を使い伝えよう

********************
①「え?十字架の刑?
ああ、あれは、皆のイシキが見ている
「恐怖映画」の中で、行われたことなんだよ」

さて、エゴになって「限定の夢」に
入り込んでいるならば、
これを聞いても、どういう意味か分からないか、
「頭の中がひっくり返る」感じかもしれないね

まず、理解することは、、、
あなたの幻想体験は、

自分のイシキが見ている夢」だ、ということだ

また、理解することは、、、
光のレベルを認識していれば、
その夢には影響されない、、ということだ

エスとして生きた時、、、
また「十字架の道」をやって見せた時も、、
私は、光のレベルを認識し
「無限の私の愛
でいた

そして、、、あの「十字架刑」は、
皆の「イシキが見ている夢」の中行われていた、

「夢なので実在していない」
それは夜中に見る夢と同じ」
、、と思うと、わかりやすいかもしれないね

だから当然、光のレベルでは、
何にも起きていなかったんだよ

そして、私は光のレベルを認識し、
「無限の私の愛
でいたので、
皆の夢には、まったく影響されなかったんだよ
********************
②「どんなことをされようと、へっちゃらさ~
だって、私は、肉体だけの存在じゃないからね~
皆と同じで、私は光のイシキだからね~」

まず初めに、理解しておいてほしいことがある
私が地球に生まれて来た目的は、
「ハートの指令を取り戻す道」を敷くことだ
また私は、人類の一員として、
その道を敷く必要があった、ということだ

そこで私は、
人類の一員となるために、
エスとしてこの世に生まれ
皆と同じように、この世界にいて人間体験をしていた
皆と同じように、他の人と触れ合える肉体で、
ちゃんとそこにいた
んだよ

ただし、私は肉体にはいたが、
光のレベルを認識し
「無限の私の愛でいた
だからこそ、いろいろと、
やって見せることが出来たんだ

さて、、私は肉体にいて、
皆と一緒に、人間体験をしていたが、

「限定が実在する」という、
エゴの「お芝居」には参加しなかった

それは、、皆の完全性だけを見て、
皆のエゴには同意しなかった、、ということだ

だから私は、皆がエゴの「お芝居」の中で味わう
悲しみや嘆きにも、、肉体の痛みや苦しみにも、、
入り込まなかったんだよ

ただし、「十字架刑」の時だけは、
「皆に見せたいことあったので、
私は、エゴの「お芝居」に「わざと」参加した

「皆に見せたいこと」と
は、、、
「死のゲーム」を「死の超越」に変えてもらうために、
死からの復活の「お芝居」を「わざと」やることだ
 
さて私は、エゴの「お芝居」に「わざと」参加したが
「十字架刑」の時もずっと、
私は光のレベルを認識し
「無限の私の愛でいたので
肉体の痛みや苦しみには、入り込まなかった

だから「どんなことをされようと、へっちゃらさ~」
、、、ということになるんだよ

もしも私が「苦しんでいた」ならば、
私も、エゴになって「お芝居」に入り込んでいた
、、、ということになるんだよ
それは、イエスは「エゴ範囲内の知覚」にいた
、、、ということになるんだよ
だとしたら、私には、何一つとして出来なかった
、、、と知ってほしい


私は、
光のレベルを認識し
「無限の私の愛
でいたからこそ、、、
アダマンタイン粒子に指令を出し、
いろいろ、やって見せることも、

水の上を歩くことも、死から蘇ることも、
テレポーテーションすることも、
その他の何もかもが出来たのだ、、と知って欲しい

エスは、さぞ苦しかっただろう、
人類のために辛い体験をしてくれた
、、などと、いまだに思っている人がいる
また、イエスは今もまだ苦しんでいる、
エスの苦しみを分かち合わなければならない、
、、、など
という人もいる

まるで、、、成仏してない「地縛霊」
みたいな言われ方だよね
お笑いの突込みなら
「地球の地縛霊にそんなん言われたくね~」
って言いたいくらい、突っ込みどころ満載だよね

さて、、、それは全部、同情エゴだ
そして、そういった推測は全て、、、
「お芝居」に入り込んで、演じている人々の
「錯覚」にしかすぎない

もしも皆が「イエスが苦しんだ」と思っているならば
皆は、イエスを「神の一人子」だ、と言いながら、
一方では、イエスが「エゴ範囲内の知覚」にいた
、、、と言っていることになるんだよ

このように、矛盾しているのが
「エゴ範囲内の知覚」なんだよ
だからこそ、「無限の私の愛」でいることだ

********************
③「光のレベルでは、何も起きていないんだよ
光のレベルでは、光の自分は、全てと一体で、
誰かに、何かをして、どうにかする、なんて
まったく不可能なんだ」

さて、この話は、皆のよく知ってる「光」で例えられるよ
太陽の光でも、電球の光でもいいね
光をハサミで切ってみると、どうなるだろう
光、、というものは分割できないことがわかるはずだ

何かの物体で、光の通路を遮断して、
光を遮ることは出来るだろう
でも単に、遮っただけで、光を分割したわけではない
だから、光には、分離、分割はない、と知ろう

そこで、もしも、光のレベルを認識していたら、
「光のイシキ」である自分は「全てとひとつ」で、
誰かに、何かをして、どうにかする、なんて
まったく不可能で、あり得ないことがわかるんだ

では、いまのあなたを見てみよう
あなたはいま、
自分は、地球上の、どこかの国の、
どこかの場所に
いる、人間だ、、、と思っている

では、もしもいま、あなたが波動を上げたら
どうなるか、一緒に見てゆこう

あなたには、光の
レベルが認識できて
あなたは、いまここで、四方八方に無限に広がる
光の中にいることがわかる

あなたは、いまここで、、
小さな一点の「光のイシキ」であり、
また、光に分離分割はなく、
あなたは、全ての光であり、
あなたが、全ての
光の中心だ、とわかる

あなたは「全てとひとつ」で在りながら、
「わたし」という自己認識を持ち、
自分自身でもある、その光を使って、
どんな体験も創造できる、無限の創造主だ、とわかる

では、その視点のままで
地球体験をしてるあなたを見てみよう

いま
、あなたは、自分でもあるその光を使って、
「恐怖映画」を上映し、エゴになって
「お芝居」に入り込んでいる、とわかる

自分は「光のイシキ」なのに
エゴになって「自分は人間だ」
と思い込んでいる、とわかる

どうだい、わかったかな
その、思い込みこそが「エゴ範囲内の知覚」なんだよ

だからこそ、「無限の私の愛」でいることだ
********************
④「皆も、光のレベルでは何にもやっていないんだよ
もちろん、罪も犯していないんだよ、
だからね、加害も被害もないんだよ、
すべては「恐怖映画」の中の、錯覚なんだよ」
 
さて「光のイシキ」である自分は「全てとひとつ」で、
誰かに、何かをして、どうにかする、のは
不可能だ、

「光のイシキ」である自分は「全てとひとつ」なので
そこには、加害も、被害も、
罪も、罰もない
殺人者も、犠牲者もない
生まれたこともなく、死んだこともない

それらは全て、錯覚、、
エゴ範囲内の知覚」なので、
無限の中には、実在していない

だから「十字架刑」の時も、
皆は光の中にいて、何もやってはいなかった

ただ、皆の「イシキが見ている夢」の中では、
加害者と被害者に分かれて
エゴになって「お芝居」をしていただけなんだ

さて、夢の中で「お芝居」をしていただけなので、
そのことで、反省、後悔、
自虐、
していること自体が、全部エゴだ、、ということになる
だから、そういうのは
もうやめた方がいいと言ったんだよ

また、、「イエスが「人類の罪」を背負った」
という話では
「存在していないものは、背負えるわけがない」
、、、と言ったんだよ

それらは全て、
人類が創造している「恐怖映画」の中での仮想体験、
「死のゲーム」の中での
錯覚体験なんだ
そして、「エゴ範囲内の知覚」なんだよ

だからこそ、「無限の私の愛」でいることだ
********************

さて、
エゴになって
「お芝居」に入り込んでいるならば、
こういった話すべてが、荒唐無稽に感じるだろう

だから、証拠が欲しくなる
自分が
「エゴ範囲内の知覚」という
「限定の波動」にいるままで

「無限の証拠」を求める人は多いんだ
だが、それは実際には、無理な話なんだよ

あなたが真実と決めたものを、あなたは体験する
どんなに錯覚していたとしても、
あなたは創造主のままなんだ
それが、あなたが与えられた自由意思なんだ

あなたが無限の波動に在るならば、
あなたは無限の波動領域を知覚する

あなたが、限定の波動に在るならば、

あなたの知覚は「極小の一点」に絞られる
それが「エゴ範囲内の知覚」ということなんだ

だからこそ、「無限の私の愛」でいることだ
いまという瞬間の、あなた自身の
気づきと、選択、決定で、それを持続してゆけば、
「無限の私の愛」でいること
あなたの普通の在り方となるだろう

そうすれば、あなた自身の気付きは、
更に加速するだろう

そして、、あなたが、限定の波動に在る
ならば、

「限定の証拠」は揃いやすく
「無限の証拠」は揃いにくいものだ

だからこそ私は、
あなたの目覚めた部分として
「無限の証拠」にしてもらいたいと、
「ハートの逆転を取り戻す敷き
「十字架の道」で「死の超越」をやって見せた
 
私がイエスとして演じた「十字架の道」は、
皆の注目を集め、2000年という幻想の時を経て、
「波動上昇の時代」まで持ちこたえたね

確かに「エゴ範囲内の知覚」で曲がった
それでも、
私がやって見せたことが、
忘れ去られずにいたおかげで、
こうして皆に伝えることが出来るんだ

それは、私たち目覚めたガイドの喜びだ
皆の「恐怖映画」に「わざと」参加して
「わざと」やったかいがあった、というものだ

まあ、ネットもテレビもない時代だったけど、
コマーシャル効果ばっちりだったね
人類的には、強烈で、センセーショナルで、
エモい(エモーショナルな)出来事だったんだよ


そして、、、たとえ、たった一人でも、
「死の超越は私の真実だ」と決める人がいれば、
私がやって見せたことは、大成功だ
その人から「目覚め」の波動が、広がってゆくだろう


さて、、、自分自身の錯覚は、
他の誰にも浄化できない、
他の誰も代わることは出来ない
「エゴ範囲内の知覚」からは、自分で出てくるしかない

全ては、あなた次第だ、
後は、あなたの気づきと、選択と、決定に、任せよう
「あなたの真実はあなたが決める」
「死のゲーム」か「死の超越」か

もちろん、私が見せた「死の超越」を
あなたが選んでくれたら、
とても嬉しい
そうして、あなたが波動を変えれば、
無限の波動領域が、あなたには知覚できるんだよ

それには、、、
さあ、自分の中心に沈んで
無限に波動を合わせるといいよ
限定はぜんぶ「錯覚だ」って決めるといいよ
限定はぜんぶ、
手放すといいよ

そうしたら、目が覚めるからね
「何も起きてなかった」ってわかるからね
光のレベルが見えるからね
アダマンタイン粒子に指令を出して
何でもできるからね

めっちゃ面白いよ~
楽しいよ~最高だよ~
無限の宇宙体験、無限の次元体験
それが永遠に続くんだよ~


どうだい?わかってくれたかな?

、、、イエスより
********************
★宣言と決定
では、前回と今回の話からは、
次の様に宣言と決定をしてみるよ
自分でも気づきがあれば加えて欲しい
_________
①「恐れ」の体験は全て、
記憶喪失、自作自演の「恐怖映画」だ、
と私は知っている

「恐怖体験」か「無限体験」か
私は「無限体験」を選択する、と決めた

「わたしの真実はわたしが決める」
「全ては私の創造だ」と私は決めた

限定の波動」との同調、共鳴は、
波動の「無意識選択、無意識決定」
「エゴ範囲内の知覚」だ、
私は知っている
同情はエゴだ、と私は知っている
私は「無限の波動」を選択すると決めた

人類と地球の平安を望むなら
「平安の波動」にある人が、
人類の臨界点を超えることだ、と私は知っている

私は、人類という一つの「集合イシキ」でも

地球体験を創造している、と知っている

 私は「ハチドリの一滴」「バタフライエフェクト
をやり続ける、と決めた

⑤イエスが「わざと」やった
「十字架の道」を、私は知っている
「死のゲーム」か「死の超越」か
私は「死の超越」を選択する、と決めた

エスは私の目覚めた部分だ
私は、イエスの真実を使うと決めた

限定を含む幻想体験は全て錯覚だ、
私は限定にイシキも波動も合わせない、
私は永遠だ、私は無限だ、私は完全だ、
私は創造主だ、これは私の真実だ」

⑦私が波動を変えれば、
無限の波動領域が、知覚できる、と私は知っている
私は、無限に
波動を合わせ
無限の波動領域を知覚する、と決めた

⑧波動が全てだ、と私は知っている
私は「無限の私の愛でいて
気づき、波動を選択し、自分の真実を決定する

⑨私は、自分の錯覚
を全て浄化し
「エゴ範囲内の知覚」から出る、と決めた

⑩「
私は「光のイシキ」だ
私は、全ての光であり、全ての光の中心だ、
私は、「全てとひとつ」で、無限の創造主だ」

これは、私の真実だ

私は「自分は人間」という
錯覚エゴを手放すと決めた
_____________________
 
 

⑪死のゲームか、死の超越か、


www.youtube.com

__________
掲示セミナー⑪
「恐れの浄化」②死のゲームか、死の超越か、
___________
★記憶喪失、自作自演の「恐怖映画」

「恐怖の大王」に支配される時、
皆の幻想体験は「恐怖映画」となる

人類の多くは、メディア、ネット、ニュース、などの
映像や情報で、
人類と世界の
不幸と混乱」「不足と喪失」「病気と死」に注目し、
「恐怖」を増幅、蔓延させている

子供から大人まで巻き込んで、
残酷で、、悲惨で、、情け容赦のない、
「恐れビジョン」を脳裏に焼き付け、
自分で自分を「恐怖洗脳」している

それらに、
同調し、同情することで

皆は「恐怖の大王」に支配され、
皆の幻想体験は「恐怖映画」となる

人類の多くは「恐怖の大王」に死を手玉に取られ
「死は避けられない」「死ぬに決まっている」
「死んだら大変」などと、
無意識選択、無意識決定している

子供から大人まで巻き込んで、
映画やドラマ、新聞や小説、ゲームや漫画を通して、
「死ぬのが当たり前」の
物語を無数に創り、
自分で自分に「死の洗脳」をしている

それらを無意識に受け容れることで、
皆は「恐怖の大王」に支配され、
皆の幻想体験は「恐怖映画」となる

だが、、、全ては、あなたの創造だ
故に、全ては、、自作自演の「恐怖映画」だ

ただし、あなたは、自分が
「恐怖の大王」を創ったことも、
「恐怖映画」を創ったことも、、全て、忘れてしまった
 
それは、記憶喪失者の、
自作自演の「恐怖映画」だ

自分で創って、創ったことを忘れ、
自分が創った
「恐怖映画」怯えている
、、それを、皆でやっているから、
それが実現し、人類の現実となっている

「怖い夢、みんなで見れば怖くない」
、、なんてことは、あり得ない
「怖い夢、みんなで見ればなおさら怖い」

皆が皆、無限の存在なのに、、
天国のど真ん中にいるのに、、、
創造主の無限愛の只中にいるのに、、、

「恐怖」
の増幅、蔓延、洗脳によって、
「恐怖のヤクチュウ」となり、
自分で創った「恐怖の夢」から
抜け出せなくなっている

内在化させた「恐怖」によって、
輪廻転生しては「恐怖の夢」に
何度も何度も戻り続けている


人類の多くは、生きることを恐れ、死ぬことを恐れ
自分を恐れ、人を恐れ、世界を恐れている
その「恐れ」によって、
皆で「恐怖映画」を永続させているんだ

ほとんどの人は、自分の恐れに、気づいて
さえいない
「大人のふりエゴ」に登場したように、
「私は別に恐れてなんかない」、、などと言うが
恐れを手放している、わけではない

ただ、自分の恐れを見ないようにしているだけだ
「不足と喪失」「病気と死」、、限定だらけ
の人生を
何とか耐え忍んで生き抜くために、
自分の奥深くにまで「恐れ」を
内在化させている

「恐れ」に徹底洗脳され「恐怖のヤクチュウ」となり
自分の「恐れ」に気づけなくなっているだけなんだ

だから「大人のふりエゴ」に
こんな質問をしたら
こんな答えが返ってくるだろう

「じゃあ、不足や喪失は?」
「そりゃ、そうなったら困るだろうけど、
とりあえず何とかなってるからね


「じゃあ、世界の混乱や恐怖は?」
「それは、嫌だとは思ってるけど、
そういう世界だから仕方ないよね」

「じゃあ、死はどうなの?」
「まあ、死は当たり前だから、そんなのは恐れて当然、
だから話が別だ」

「困る?」「とりあえず?」「嫌だ?」
「そういう世界?」「仕方ない?」
「死は当たり前?」「恐れて当然?」「話が別?」

オイオイ、それでは「恐れていない」とは言えないぞ
「大人のふりエゴ」十分恐れているではないか!

私の答えはこうだ

限定を含む幻想体験は全て錯覚だ、
私は限定にイシキも波動も合わせない、
私は永遠だ、私は無限だ、私は完全だ、
私は創造主だ、これは私の真実だ」

「あなたの真実は、あなたが決める」
もちろん、私の答を採用してくれてもいいよ
それは、とても嬉しいことだからね

さて、人類の
自作自演の「恐怖映画」から、
何とかして抜け出してほしいと思い、
私はイエスとして、
「ハートの指令を取り戻す」道を敷きに来た
では、その話をしよう
__________
★死のゲームか、死の超越か
さて、私イエスは「十字架の道」を通して、
いろいろやって見せて、
死からも蘇って見せた

私がやって見せたことは、どれも全部、
誰にでも出来る、当り前のことだ
当たり前のことを、当たり前だよ、、と言って
当たり前に、やって見せただけなんだ

え?十字架の刑?
ああ、あれは、皆のイシキが見ている
「恐怖映画」の中で、行われたことなんだよ

どんなことをされようと、へっちゃらさ~
だって、私は、肉体だけの存在じゃないからね~
皆と同じで、私は光のイシキだからね~

光のレベルでは、何も起きていないんだよ
光のレベルでは、光の自分は、全てと一体で、
誰かに、何かをして、どうにかする、なんて
まったく不可能なんだ

皆も、光のレベルでは何にもやっていないんだよ
もちろん、罪も犯していないんだよ、
だからね、加害も被害もないんだよ、
すべては「恐怖映画」の中の、錯覚なんだよ

だから、2000年以上も、
自分たちを責めてる人がいるみたいだけど、
それ、もう、やめた方がいいと思うよ

皆は、死を「自分の真実」としてるから、
死ぬみたいに見えてるけど、誰も死んではいないよ
誰も、1度も、1秒も、死んだことなんかないんだよ
皆は「死のゲーム」をやってるだけなんだ
 
「死のゲーム」って、いうのはね
皆で「恐れビジョン」を焼き付けて、
皆で「恐怖洗脳」をして、
皆で「恐怖映画」を創って、
いろんな死に方で、必ず死ぬ、、っていうゲームだよ

それで、また生まれて、変化させながら、
「死のゲーム」を何度も繰り返しているんだよ
まあ実際には
死んでないから、
何度でも、出来ちゃうんだけどね

そんな、人類の「死のゲーム」から
抜け出してもらいたいと
私は「わざと」「十字架の道」をやって見せたんだよ
 
残酷で、、悲惨で、、情け容赦のない、
「恐れビジョン」を脳裏に焼き付け、
「恐怖洗脳」を強化する、、、
それが人類エゴの「恐怖映画」なんだよ

だからこそ、そんな
残酷で、、悲惨で、、情け容赦のない、
「十字架の刑」
という場面からであっても、
蘇ることを「わざと」やって見せたんだ
 
何度も何度も、死んでは生まれて、
「恐怖映画」を繰り返す
そんな人類の「死のゲーム」
「死の超越」に
変えられたらいいな、と思ったんだよ

これは
目覚めの二者択一だね
人類の「死のゲーム」か、イエス「死の超越」か、

さあ、そして、私が「わざと」演じてみせた
「死の超越」では、こんなだったよね

十字架に架けたって、棺桶に入れたって、

土の中に埋めたって、巨大な石を置いたって、
蘇って見せて、、、

ほ~らね、死は存在しないんだよ
ず~っと生き続けるんだよ
それは、皆も同じなんだよ、、と見せたくて
「死の超越」を「わざと」やってみせた

それから、ライトボディーになって空に浮かんだ
これは「テレポーテーション」だね

皆にも同じことが出来るので
これも「わざと」やって見せたんだ

それから、移動しながら、
物質のレベルから、
光のレベルに移行した
そしたら物質のレベルからは見えなくなったけど、
別に、どこかに行ったわけじゃないし、
もちろん、天に召されたというわけでもない

光のレベルにいる方が普通だから、そうしただけだ
それに、物質のレベルで見せることは
全部やった
と思ったから、お芝居の
幕を閉じただけだ

さて、、「わざと」と言ったのは、
十字架刑を止めさせることも、消えることも、
何でも出来たのに、何も
抵抗しなかったことを
「変だよね」って、ちゃんと見て欲しいからだ

だって、光のレベルを認識していたからこそ、
その前にも、その後にも、色々
できたんだよ

なのに、あの時だけ、何にもしなかったって、
「それおかしいだろ、そんなの絶対ありえない~、
わざとだろ、イエス君も役者やのう」
、、、って、皆に知って欲しいんだよ、

そうなんだよ、、「わざと」なんだよ「わざと」

そして「わざと」の目的は、
「死のゲーム」を「死の超越」にすることだ


そしてさあ、次の様にも言ってきた
皆は、いま天国にいるんだよ
父は、あなたを愛しているんだよ
皆は「父の一人子」なんだよ
皆は、永遠、無限、完全なんだよ


私がやったことは、どれも全部、
奇跡じゃなくて、普通なんだよ
私がやったことは、どれも全部、
誰にでもできるんだよ

だから、何かをやって見せるたびに
「私がやることは全て、あなたたちにも出来る」
と何度も言った

パンを出して、
魚を増やして、
水の上を歩いて
水をワインにして
人を癒した

それは、特別ではない、奇跡でもない
それは、光のレベルを調整してやったことだ
前に話した「アダマンタイン粒子」に
指令を出したんだよ、
ただ当時は、原理のほんの一部でも
説明できるコトバがなかったんだよ

光のレベルを調整するには、
光のレベルを認識すればいいんだよ
アダマンタイン粒子に
指令を出すには、
「無限の私」の「無限の愛」で頼めばいいんだよ
だから皆も
目覚めたら出来るんだよ

ほんとは、いつでも出来るんだけど、
皆は「疑いエゴ」で自分を信用しないし、
「霊力エゴ」や「修行エゴ」に
またまた乗っ取られるから、
先に目覚めた方がいいよね

アダマンタイン粒子に指令を出すのは、
生活で何か困ったときや、
お天気を変えたいとき、くらい
にした方がいいね

さて、だからね、、、

「不足と喪失」「病気と死」
限定はぜんぶ「まぼろし~」
「死のゲーム」を「死の超越」にしてね、
、、、と言いたかったんだよ


いいか~い
自分の中心に沈んで
無限に波動を合わせるといいよ~
限定はぜんぶ「錯覚だ」って決めるといいよ~
限定はぜんぶ、
手放すといいよ~

そうしたら、目が覚めるからね~
「何も起きてなかった」ってわかるからね~
光のレベルが見えるからね~
アダマンタイン粒子に指令を出して
何でもできるからね~

めっちゃ面白いよ~
楽しいよ~最高だよ~
無限の宇宙体験、無限の次元体験
それが永遠に続くんだよ~


どうだい?わかってくれたかな?
__________
「あなたの真実はあなたが決める」

さて、、もちろん「エゴ範囲内の知覚」で
全ては、曲がった曲がった
「死のゲーム」を「死の超越」にしようと
「わざと」見せたことは全部、

死のゲーム」の強化に使ったんだ

残酷で、、悲惨で、、情け容赦のない、
恐れと、死を強調した「イエスの十字架像」を
世界各所に掲げている

「ああ、そうなのか、子供時代から見せておいて、
「死と
恐怖」を、増幅、蔓延させ、
自分で自分を「恐怖洗脳」しているんだね~」

エスの名のもとに「聖戦」をやったり
「正義」の名のもとに、無数の戦いを繰り返している

「ああ、それはさ~「一つなる自分」を
敵と味方に分けて戦う「死のゲーム」なんだよ、
まあ、誰も死んでないから、またやれるけど、
それ、キリがないよね」

エスがやったことは、どれも全て
絶対にありえない「特別な奇跡」とした
そうして「イエス様には、お出来になられても、
私共には、ムリムリムリ」と言っている

「なるほど~、皆にも出来る、って言ったのを
「自虐洗脳」に使ったんだね
それ、全部、奇跡じゃないから、、
それ、ただ、アダマンタイン粒子に
指令を出しただけだから、、」

恐れと死を強調するために「原罪」を発明した
自分たちは生まれながらの罪人(つみびと)で、
「父の一人子」イエスを十字架に架けたから、
永遠に悔いていなければならない

「なるほど~「父の一人子」はイエスだけにしたのか
そうか、たった一人だけが何でもできて、
あとは全員、なんも出来ない「愚か者」なのか~」


人間には原罪があるから、世界はこのような有り様で、
自分たちは、その中で、もがき苦しみながら生き、
やがて必ず死ぬ、、、

「えっと~「世界がこのような有り様」なのは、
記憶喪失者の、自作自演の「恐怖映画」だからだよ
それにね、皆が死ぬのは「死のゲーム」を
やってるからなんだよ」


エスが「人類の罪」を背負って死んだので、
神が憐れんで、墓から蘇らせて、
それから
、天に召された、、

「ああ、それ全部、自分で「わざと」やったんだよ
「わざと」だよ「わざと」

神は無限で、
ただ在るだけ、
神は
「限定」を知らない、
だから、憐れんだり、蘇らせたり、
天に召したりもしないんだよ

神は
皆に、何でも自由にやらせてくれるんだよ、
だから皆は天国にいて「恐怖映画」を創れるし、
「死のゲーム」も
好きなだけ繰り返せるんだよ」

「それからさ「イエスは人類の罪を背負った」って、
皆が言ってるみたいだけど
「人類の罪」なんか、背負えるわけがないんだよ

だって、罪は、錯覚なんだよ
錯覚は、存在していないんだよ
存在していないものは、背負えないよね

「無いものは無い」だよね

それにね、錯覚してるのは、自分なんだから
自分で自分の錯覚を
はずすしかないんだよ」

さて、この話は、いっぱいありすぎてキリがない
誰もが皆、神の現れで、無限の存在だ
だけど、目の中に大きな梁が入っていて、、、
「エゴ範囲内の知覚」にいて、、、
波動を変えさせないエゴを無数に創った
だから、なんでもかんでも曲げられる

まあ、だけど、いかに錯覚だらけなのかを
皆に知ってもらえたら、それでいいよ

それに、錯覚で、だいぶ曲がったとしても、
わたしが、やったことが、
忘れ去られずに残っているなら、それでいいよ

錯覚は、他の誰にも修正できない
誰であろうと、やって見せることしか出来ない
だから、私はイエスとして
できる限りのことはやって見せたんだよ

あとは皆の選択と決定に任せるしかないんだ
「あなたの真実はあなたが決める」

まあ、他の皆も、その内わかるだろうね
私が置いた波動で、やがて世界の波動が変われば、
「なんか、おかしいな」「どこか間違ってるぞ」
「何かが隠されているのかも」
、、、と、錯覚に気づく人も出てくるだろう

だって、皆は、無限の存在だからね
エスより、つづく
___________

⑩「恐怖の大王」ゆるキャラ設定

フロックス・ブルーパヒューム


www.youtube.com

___________
掲示セミナー⑩
恐れの浄化①
「恐怖の大王」ゆるキャラ設定
___________
では今回は、全てのエゴの「根っこ」となっている
「恐れ」について知ろう
まずは、前提を一緒に見てゆこう

皆は、無限の存在だ

皆は「恐れ」の創造によって、無限を見失った

皆は、地球での幻想体験から抜けられなくなり
無限の宇宙体験も、無限の次元体験も、出来なくなった

皆にとっては「限定体験」が「普通」で
「無限体験」は「特別」となった

無限の存在に死はないのに、

皆は、死を真実とし、
地球での輪廻転生を繰り返すようになった

では、どうして、見失っただけなのに、
すぐに、無限の知覚に戻れないのか?
、、それは、自分の波動が
無限と合わなくなったからだ

皆は「恐れ」から、無数のエゴを創造した
皆は、その、無数のエゴを
自分だと思い込んでいる

その、無数のエゴによって
皆の多くは、ほとんどの瞬間、限定の波動に
いる

エゴは「限定局」にチューニングさせ、
「無限局」へのチューニングを邪魔する
エネルギーだからだ

そこで、
自分の違和感に気づき、内観し、
自らの決意と決定とで、
エゴを浄化してゆく必要がある

だが皆は、
限定体験の中で「恐れ」を
巨大なエゴ、、「恐怖の大王」にしてきた

そこで、この「恐れエゴ」、、「恐怖の大王」の
浄化に役立つ解決を、一緒に見てゆこう

__________
「そうだ!すでに損失マックスだった!」

あなたは「恐れ」の創造によって、無限を見失った
あなたが見失ったものは「無限」だ

だから、全宇宙、全次元のどこにも
それ以上の損失は、
存在していないんだよ

いいかい、、、あなたは、
もうすでに恐ろしい羽目に陥っている」
「もうすでに損失マックスだった」
、、、と気づくことだ

全宇宙、全次元のどこにも
「無限を見失う」以上の損失は、
あり得ない、、存在しない、、のに、

まだ「損失がある」と「恐れている」こと自体が
「すべて錯覚だった」、、と気づくことだ

これは、逆転の発想なんだ
皆は「恐れ」が、あまりにも強烈すぎて、
浄化のあと一歩が、なかなか踏み込めないでいる

でも「自分は、無限が見えなくなっている
だから、もう、これ以上、失うものはなかったのだ」
、、と知ることが出来たならば、、、

「恐怖の大王」に屈する必要など、
ないことが、見えてくるだろう


そして、ここでもう一つ、気づいて欲しいことがある
あなたは「恐れ」の創造によって、無限を見失った
、、、のだから
あなたは「恐れ」を浄化すれば、無限が見えてくる
、、、ということになる

「恐れ」は、全てのエゴの「根っこ
「恐れ」によって無数のエゴを創造した

だからこそ「根っこ」である「恐れ」を、
見極め、手放すことが役立つんだ

では「自分の創造」を知り、
浄化の、あと一歩を踏み出そう

さて、全てのエゴの創造と、その浄化は、、、
たとえてみれば、禅問答か、悪い冗談か、だ
あるいは「パラドックス」「逆説的真理」とも言える

浄化とは「無いを無いにする」と言ったことがある
「恐れ」というものは、エゴだ、
エゴは
存在していない、
エゴは
無存在なんだ、エゴは無いんだ、

だが、「無いものをどけなければ、
無かったことが見えない」
、、、というわけだ、
まったく、禅問答か、悪い冗談か、だな

だから皆は、
「無いものを、あるかのように恐れる
体験を創造した
、、、ということになる
ほらね、禅問答か、悪い冗談か、だろ

では、話を戻そう
あなたは「
無限を見失った」だけなのだから
何があろうとも、ずっと
永遠、無限、完全なままなんだ

見失った無限は、いま、ここの、
あなたの内にあるんだ、

そして内にある無限に合わせてゆけば、
外もまた自分自身だった
ということが見えてくるだろう、

すると、全てが自分自身だった
ということも見えてくるだろう

そうして、自分自身である全てを恐れていた
ということも見えてくるだろう

だから、安心していいんだよ
ただ
、自分の内の無限に
自分のイシキと波動を合わせるように、
自分自身を修正してゆけば、いいだけなんだ

それが出来るようになったら、
それを持続してゆけば、いいだけなんだ


だが「無いものを無い」にしなければ
見えてはこないんだったよね~
さあ、だからこそ、恐れを見極めよう

「恐怖の大王」は、自分自身の空想の産物だ
あなたにとって、どれほど強烈な恐怖に
感じられたとしても、
それは全部、実在していない、単なる錯覚なんだ、

天国のど真ん中で、迷子になった幼子が、
全てを恐れたが故に、創った空想なんだ
創造主の無限愛の只中で、見ている夢なんだ

それは、まるで、自分自身の影に
怯えているようなものなんだよ

だから「恐怖の大王」の実態は
「こけおどし」の「見せかけ」なんだよ
 
それは、たとえば、、
遊園地のお化け屋敷、恐い映画の見過ぎ、
恐怖ゲーム中毒、おんぼろセットを隠すカーテン
ポンコツがバレない為の飾りつけ
、、、のようなものだ

では、、体験の中で、分離感情の浄化で、
「恐怖の大王」に脅しをかけられても
「無限を見失う以上の損失はない」のだから
「恐怖の大王」に屈する必要など、
なかったことを思い出そう


そうして、、、
「そうだ!私、すでに損失マックスだった!」

、、と笑ってしまおう

それから、、、
「私ったら、無いものを、あるかのように恐れる
体験を創造したんだね~」
、、、と笑うのもありだよね

そうして「無いものを無いにして」
恐れを乗り越えよう
__________

「恐怖の大王」ゆるキャラ設定

では、「恐怖の大王」のキャラ設定もしておこう

自分自身が「恐怖の大王」を
誇大妄想にしているからね、
だから
自分で、もっと取り組みやすい、
わかりやすい
イメージに、変えてしまうんだよ

また、相手を見えなくしていることも、

恐怖を増大させているからね、
姿がちゃんと見えることや、何がどうこわいのかを
自分で掴むことが役立つんだよ


かわいいキャラや、小さいキャラ、
ゆるキャラ」にするといいね

たとえば「あり」や「のみ」や「微生物」
「カビ」「細菌」
などに似せた
ゆるキャラ」なんかどうかな~

それなら「恐怖の大王」誇大妄想イメージを
塗り替えられるかもしれない


声もかわいくするといいね
ヘリウムや水素ガスを吸ったり、
パソコンで声変換したみたいにね、

「きっと怒らせるよ」
「仲間外れにされるぞ~」
「ひどい目にあうよ」「糾弾されるよ~」
「奪われるよ~」「自分を失うぞ~」
「どんどん年取るぞ~」「体のあちこち悪くなるぞ~」
「足りなくなったら困るぞ~」「何もかもなくなるよ~」
てな感じでね

実際に言わなくても、
自分の中で、声変換すればいい、
自分の中で「恐怖の大王」の「ゆるキャラ」を
思い浮かべればいい

思考と論理で固まった大人の様に振舞って
バカバカしいなんて言わないでさ、
内なる、全知全能の純粋無垢な幼子
、、「無限の私」で、やるといい

これは、あなたの中の「迷子の幼子」を
「無限の私」で癒しているんだ
「恐怖の大王」ゆるキャラ設定、、、は
「迷子の幼子」を癒すための「裏ワザ」だ

だからこそ、エゴにブロック「エゴブロック」
されてしまう、、、そのことに気づいた方がいい

この世で生きる為に創造した
思考と論理で固まった大人、、、というのが
もうすでにエゴなんだよ
そうだな、、、「大人のふりエゴ」だ

ほんとは大人なんて一人もいないのにね
人類全員「迷子の幼子」なのにね

「大人のふりエゴ」は、
次の様に思ったり、言ったりする
「私は別に恐れてなんかない」「大したことない」
「これくらいどうってことない」「そんなもんだ」
「へっちゃらさ~」「仕方がない」

だけど、まったく
「先に幸せ、ただアソブ」には、なれてはない
素直でもない、思考と論理で、複雑化させている

何のためかっていうと、
自分の中の「
迷子の幼子」を見ないようにして、
「迷子の幼子」の癒しを阻止しようと
エゴブロック」しているんだ

さあ、つべこべ言うな
さっさと「無いを無いにしろ」
あなたの中でやればいいのだから、
誰も見てないし、
自分で自分を笑えることが役立つんだよ、

そしたら、自分が誇大妄想した空想に怯えてたのが、
もう十分にバカバカしかった、
、、、と気づけるかもしれない
これは「恐れ」を笑いに変えるチャンスなんだ

さて、有名な話だが、、、
あるマスターが「恐れを恐れよ」と言った、

その言わんとすることが、
あなたには、もうわかるだろう
「恐れることで実現させている」
ということに、もう気付きなさい、、ということだね

「恐れ」は無数のエゴの根っこ
だから「恐怖の大王」は、
全ての分離感情にくっついている

だけど「分離感情」を活性化している時には、
そのことに、気づけないものだ
「無いを無いにしないと、見えないからね」

それでもいい、
ある程度手放してから
ちゃんと見てみるといいよ
内観して、ハートでスキャンして
「私は何がこわいのだろうか」とね

「無限の私」で、自分の中の「迷子の幼子」

に問いかけるんだよ

そうして「分離感情」が薄れたところで
根っこにある「恐れ」も手放す、と決意することだ

「無限の私」で、
自分の中の「迷子の幼子」

を癒すんだよ

内観や、ハートでスキャンは、
習慣やクセにすると、浄化に役立つだろう

内観は文字通り、自分の内を観る感じ、、
ハートでスキャンは、
自分のハートをスキャンするのではないよ、

自分のハートにいて、、、
自分のハートにイシキを置いて、、、
自分の全体をスキャンする、、、ということだ、
ほら、医療機器のCTスキャンみたいにね


さて、、、「何がこわいのか」
、、それは、いろいろあるだろうけど、

先ほどのセリフで見てみようか
たとえば、、、だけど、次のようにやってみよう
__________
①「きっと怒らせるよ」「仲間外れにされるぞ~」

ハートでスキャンして、、、

「私は何がこわいのだろうか、そうか私は、
人や、世界に、受け容れられないのが、こわいんだ」

では「恐怖の大王」ゆるキャラ、思い浮かべて
「こわい」と「受け容れられない」も手放そう
それから「受け容れられたい」も手放そう
__________
②「ひどい目にあうよ」「糾弾されるよ~」

ハートでスキャンして、、、
「私は何がこわいのだろうか、そうか私は、
人や、世界に、責められる
のが、こわいんだ」

では「恐怖の大王」ゆるキャラ、思い浮かべて
「こわい」と「責められる」も手放そう
「受け容れられたい」も手放そう
__________
③「奪われるよ~」「自分を失うぞ~」

ハートでスキャンして、、、
「私は何がこわいのだろうか、そうか私は、
失うのが、こわいんだ」

では「恐怖の大王」ゆるキャラ、思い浮かべて
「こわい」と「失う」も手放そう
それから「私は無限」と決定しよう
__________
④「どんどん年取るぞ~」
「体のあちこち悪くなるぞ~」

ハートでスキャンして、、、
「私は何がこわいのだろうか、そうか私は、
自分の体と、衰え、老朽がこわいんだ」

では「恐怖の大王」ゆるキャラ、思い浮かべて
「こわい」と「体への恐怖」
「古くなる」と「衰える」も手放そう
それから「私は永遠」と決定しよう
__________
⑤「足りなくなったら困るぞ~」
「何もかもなくなるよ~」

ハートでスキャンして、、、
「私は何がこわいのだろうか、そうか私は、
喪失がこわいんだ」

では「恐怖の大王」ゆるキャラ、思い浮かべて
「こわい」と「なくなる」も手放そう
それから「私は無限」と決定しよう
__________
さて、文章化すると複雑に感じるけど
「浄化グセ」にしてしまえば簡単なんだ

これは、例だから型にしているが、
もっと適当で、臨機応変でいいんだ、

コツは、内観、または、ハートでスキャン
また、自分のペースで
「恐怖の大王」ゆるキャラ、思い浮かべる

ハートでスキャンして、「なにがこわいの?」
と自分に問いかけるだけだ
そしたら、きっとわかる、
そして「恐怖の大王」ゆるキャラ、思い浮かべて、
ただ手放す

もし、わからなくても、まったくかまわない
その時には、ただ「こわい」を手放せばいいだけだ

中には、「なにがこわいのか」を
「見るのが怖い」という人もいるくらいなんだ

だからこそ、ハートでスキャンして、ちゃんと見よう
そうしなければ「恐れを恐れよ」になるんだよ

まあ、あまりにも、重たすぎたり、強烈すぎるならば、
前に伝えたように、ガイドに頼みながら、
預けながら、やればいい

とにかく、気楽にとらえて楽しくやること
「リラックスして楽しんで」いないとね
ゆるキャラ声変換の「恐怖の大王」を使いながら

さあ、恐れを笑いに変えるチャンスだ
「恐怖の大王」ゆるキャラ設定、、、して
「無限の私」で「迷子の幼子」を癒そう
「先に幸せ、ただアソブ」だ
___________
★宣言と決定

①私は「恐れ」によって無限を見失った、と知っている
私が見失ったものは「無限」なので、
それ以上の損失は存在しない、と私は知っている

私は「恐れ」がきたら
「そうだ!すでに損失マックスだった!」
と笑う、と決めた

③私は、浄化とは「無いを無いにする」ことだ
と知っている
私は「無いものを、あるかのように恐れる
体験を創造した」と知っている
私は「無いを無いにする」と決めた


④私は「恐怖の大王」は、自分の妄想だと決めた
「恐れ」は全て、私の錯覚、空想、影、夢であり、
「こけおどし」の「見せかけ」だ、と私は決めた

私は「恐怖の大王」をゆるキャラ設定する、と決めた
私は「恐怖の大王」のゆるキャラを思い浮かべ
手放す、と決めた


⑥私は「恐れを恐れよ」を知っている
私は内観や、ハートでスキャンして
「なにがこわいのか」を見る、と決めた
私は、内観や、ハートでスキャンを
クセにすると決めた

⑦私は「
無限の私」で、
自分の中の「迷子の幼子」を癒す、と決めた
「恐怖の大王」ゆるキャラ設定、、、は
「迷子の幼子」を癒す裏ワザだ、と決めた

⑧私は「無限を見失っている」だけだ、と知っている

私は、いま、永遠、無限、完全だ、と知っている
私は、自分のイシキと波動を
「見失った」無限に合わせる、と決めた

⑨私は、自分の中心に沈み
「無限の私」を感じる、と決めた
私は、常に「無限の私」で
幻想体験を「ただ在る、生きる、ただアソブ」と決めた
____________
あなたは、いま、永遠、無限、完全だ
あなたは、ただ「無限を見失っている」だけだ
何もなくなってはいない、
全ては、あなたの内にある

故に、自分のイシキと波動を
「見失っている」無限に合わせ続けよう
自分の中心に沈み「無限の私」を感じ続けよう

「無限の私」で、
幻想体験を
「ただ在る、生きる、ただアソブ」

すると、、、やがて、、、
全てが自分自身だったことが見えてくるだろう
創造主の愛の天国が見えてくるだろう

創造主の愛の天国で、永遠に遊ぶ
幼子
「無限の私」
を知るだろう

、、、イエスより