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⑰「空想の自分」の浄化

朗読アップしました、二本です


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掲示セミナー⑰「空想の自分」の浄化

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では前回の⑯「空想の自分」のまとめから話しましょう
★私たちはどうすれば抵抗をやめられるのか?

全ては無限への抵抗だった、
それは、創造主への抵抗だった、と知る

「抵抗をやめる」と決める
私は創造主に全託する」と決める
「全託しかありえな~い!」と言う


天国を見たい、実相を知りたい、知覚したい
という「好奇心」を持つ

願望にとどまらず、
日々、波動変容の過程を推し進める
自分の波動の臨界点を超えるまで
「無限に合わせる、限定を手放す」

●無限に合わせる、、には
「自分の中心」の波動認証を超えるように
無限感の波動貯金を続ける


●限定を手放す、、には
自分が選んでいる波動に気づき、選択、決定を続ける
日々「空想の自分」エゴに気づき
日々
「無限か、限定か」波動を選択し
日々「限定波動は手放す」と決める

自らが、自分の波動を変えようとしなければ

変わるわけがない
「私がやらなきゃ誰がやる」

エゴは「空想の自分」
エゴは「無存在」
「自分はいま、無限の中にいて無限のままなのだ」
と思い出す

、、とはいえ、エゴは自分だと思えるもの
それでも
「これは私ではない」と言い張ること

歌う宣言も使える
「やだやだやだ、嫌い嫌い、これは私じゃない、
私じゃない、私じゃない
私じゃないよ、
限定全て、私じゃない私じゃないよ

私は無限、私は無限、無限の存在だ」

手放す歌にも使える
「やだやだやだ、嫌い嫌い、ぜ~んぶポンポンポン、

私じゃないもの、ポンポンポン、光に還れ、
私じゃないもの、ポンポンポン、無限に還れ
やだやだやだ、嫌い嫌い、ぜ~んぶポンポンポン」

言い方は何でもいい、
自分で好きなようにアレンジする
思いのままを歌いながら、宣言もする
そして手放す

浄化にビビるな
「私ったら無存在のもの恐れてた~」
「無いもの恐がるなんて、ありえな~い」
と笑ってしまおう

エゴ軍団の活性化で
なかなか気分がよくなれなくても、
自分を許し、在るがままでいる

「早く何とかしなくちゃ、限定波動送り出しちゃうよ~」
とアセアセしない
アセアセもエゴ、
「たたみかけブロック」されてるだけ
 
気持ちが落ちている時には波動調整
「ただ言う、ただ歌う」

「やったやった、ラッキーラッキー、
ついてるついてる、あははあはは~」
ジングルベルの音楽で
「嬉しい、良かった、ありがとう、愛してる」

朝起きた時、このような波動調整で始めれば
その日一日の波動の土台を決められる
波動の土台が決まっていれば、
そこから離れたことにも気づきやすくなる
そうして離れたと気づけばまた歌う
浄化が必要なら、方便を使い、ただ手放す
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★何をもって抵抗しているかを知る
皆が無限に抵抗しているのは、
大まかに分ければ、
以下のようなこと

ここには自分が創造した「空想の自分」エゴと、
自分が肉体にインプットしたことで、
肉体が感じている「恐れ」なども含まれる

①「人間イシキ」
●自分は人間だと思い込んでいるイシキ
「人間感覚」
●人間としてのあらゆる感覚

「物質感覚」
●全ては物質だと思い込んでいる感覚

「競争イシキ」(比較グセ)
●「光のイシキ」は、
物質の創造をする中で、お互いに競争を始めた

「光のイシキ」が地球体験を望み、
自分達で、動植物など全てを創造してゆく際に
「アソビ」として競争をした

それが
限定体験に入ったときに「習い性」になった
創造した「空想の自分」エゴによって
この「競争イシキ」が強化され、
そこから抜けられなくなった

「競争イシキ」は、あらゆる限定の考えや感情の
根っことなっている
子供の頃から「競争イシキ」の中で生活し
「習い性」「クセ」「洗脳」にまでなっている

何でも比較で見る習性
比較によって、自分や何かや誰かを
褒めたり、けなしたり、
あるいは、4羨んだり、自虐したりしている、

実際には、、
全ては「ひとつ」
極性は幻想
故に、
比較は存在しない

解決は、、、
自分で、この競争イシキによる
「習い性」「クセ」「洗脳」に気づいて、
「全てはひとつ」と決める、

競争は、「ゲーム」の中の
単なる「
アソビ」と知る、
自分が比較しながら、褒め、けなしていること
あるいは比較しては、人を羨み、嫉妬していること、
などに気づき、手放し、「競争イシキ」から離れる

「たった一つの存在」だけがあり、
すべてが「それ」である

「光のイシキ」もまた、創造主とひとつで、
全ては自分自身である、

「たった一つの存在」に、比較や競争はありえない
「自分は「ありえない錯覚
をしていたのだ」と知る

「限定の想いと感情(限定感情)」
「限定の考え(限定思考)」

●「空想の自分」エゴによる
限定の中での、感情、想い、考え、その全て

たとえば、、実相について考えていても、
それは「限定の中での考え」にしかすぎない

「考え」から離れ、
フィーリング、ひらめき、洞察、、を受け取れるように
「ただ在る」歓喜と感謝でいる

④「錯覚イシキ」「思い込み」

●「空想の自分」エゴを自分だと思い込むことによって
全てに対して持っている
錯覚、思い込み、空想、誤解、見間違い

「肉体に関する錯覚(肉体感覚)」
●自分自身体に対して決め込んでいる錯覚
たとえば、、、病気や老いや死などを
避けられない、仕方がないこと、当たり前のこと
などとしている
それを肉体に、無意識のうちにインプットしている

「生存本能(危険を回避する為の恐れ)」

●「光のイシキ」たちは、物質体験のために
自分達が肉体に持たせた本能に
自分自身が、限定感情を加えるようになった、

「生存本能」とは、もともとは、
「光のイシキ」が、肉体の保持を目的に
肉体に組み込んだものだった

たとえば、高いところから急激に飛び降りるような
肉体に害を及ぼす行動をしないことや、
他の大型動物などから身を守
るためのものだった

「光のイシキ」は、限定体験の過程で、
生存本能も自分だと思い込み、
「空想の自分」エゴで、全てを恐れるようになった

光のイシキは永遠の存在である
どう在っても「生存しないことはありえない」
のだから、この「生存本能」も手放す

生存のための本能を手放したら
危険を回避できない、という心配はいらない

何故なら危険は実在しないから、
「危険が実在する」と、自分が決めている限り、
危険からも、
恐れからも、逃れられない

肉体は、自分の想い、考え、感情の波動を、
常時受け取り、自分の指令通りに働いている

自分の肉体に、心配や不安、危険や老いや死の
波動を送り出さない、

知覚を移行させるまで、
生存に対する恐れや
肉体に対する限定波動
、、自分の感情、考え、想いに気づき手放してゆく

肉体を安心させ、肉体に
感謝す
肉体の手入れをきちんとし、
死を超え、共に連れてゆくと決定する

肉体を連れて無限へと還るのか?
肉体を置いて死へと移行するのか?
それは、自分自身の選択だ、、と知る

⑥「食への執着と抵抗(食の執着、抵抗)」
「性への執着と抵抗(性の執着、抵抗)」

●もともと半霊半物質(ライトボディー)から、
肉体に波動を落とした理由のひとつには、
地球体験の「アソビ」の中で、
完全に物質肉体となって、
より濃密な
体験を味わおうとしたこともあった

それは、、他の動物たちを観察していて、
自分達も、完全に肉体にまで波動を落としてから、
様々な体験をしたらどうだろうか、、という、
探求心、好奇心、実験願望などによるものだった

それによって、
最も波動が低い物質肉体から
一気に、急激に、波動を上げる興奮状態
「一瞬の無限感」を楽しもうとした

その中でも特に、食と性、
他にも、様々な危険や恐怖や死などに対しての
興味と好奇心があった

そうして、バンジージャンプや、
ジェットコースターのような
「高揚感」や「エクスタシー」を味わったり、、

あるいは、ゾンビゲームや
ファイティングゲームのような
危険や死と隣り合わせの
「恐れ」や「興奮」を味わったりした

こうして「光のイシキ」は、
波動のギャップによって
「一瞬の無限感」を強烈に感じることを求め、
波動を落としては一気に上げる「アソビ」をした

そういった「アソビ」を続けるうちに、
「空想の自分」エゴの創造によって、
時間幻想の中で、体験が変化していった

「光のイシキ」は、自分達が常時感じていた
「永遠の無限感」を見失い
「一瞬の無限感」でしか、
無限を感じることが出来なくなった

「光のイシキ」は、無限の存在、
無限の存在は、
無限感を感じているのが普通
限定感を感じているのが特別

だが、それが逆転した
「空想の自分」エゴの創造によって、
「光のイシキ」は、
限定感を感じているのが普通となり、
無限感を感じているのが特別となった

また「光のイシキ」は、もともと
自分だけで、常に無限感にある存在だったが、
何かや誰か、、という対象物によってしか
「一瞬の無限感」を、感じられなくなった

やがて、「光のイシキ」の波動は、
無限波動から限定波動へと変性し、
「光のイシキ」は天国にいて天国が見えなくなった

また、死を
自分の真実」としたことで、
「光のイシキ」の、無限への帰還は忘れ去られた

こうして、自分本来の「永遠の無限感」を
見失ったことから、、
「光のイシキ」は、より強く、より深く、
夢の中の「一瞬の無限感」に、執着し、抵抗し、
更に、それらを追い求めた

そうして、自分の夢の中での
様々な「思い残し」から、
自ら、地球での「輪廻転生」をする選択を
続けた

自分たちの体験の場は、
地球の物質次元と幽界の「輪廻転生」だけ
、、、という「錯覚」に陥り、

自分の創造である、夢の中の誰かや何か
、、という対象物
に、

「一瞬の無限感を追い求めながら生き、
死んでは、また生まれ、
一瞬の無限感を追い求めながら生き、
死んでは、
また生まれ、、、
といった、夢の持続から抜けられなくなった

そうして、、無数に存在する物質体験の場から、
自ら選んで
地球体験を始めた「光のイシキ」は、
自分自身を限定に縛り付ける「地球の自縛霊」
となり、
自分本来の、無限の宇宙体験も、
無限の次元体験も忘れ去った

こうして、自分たちが創造した全てを
体を使って味わう、
「光のイシキ」の「物質体験ゲーム」は、
「知覚型体験ゲーム」から
「埋没型体験ゲーム」へと移行した


そして、
いまも幻想の中で
「一瞬の無限感」である、
「食への探究」「
への探究」や
その他への探究を、
無限に続けている

そこで、ここでは、特に、
食と性への執着と抵抗を手放す

自分でも、他の何かで
「自分は、これに対して「一瞬の無限感」を
追い求めているようだ」
、、という気づきがあれば、手放してゆく
また、抵抗は執着と同じことなので浄化する

様々なものによる、
極から極への体験によって、
興奮状態と落ち込みを繰り返す、
「躁鬱状態」のような刺激を追い求めていたのも
実は「空想の自分」エゴだったと知る

全てを浄化しても、
人生が楽しめない、面白みがない
満たされなくなる、つまらなくなる、
興味がなくなる、わけではない

執着も抵抗もなく、感謝と歓喜に在りながら
「ただアソブ」になる


「一瞬の無限感」は「空想の自分」エゴによる
「埋没型体験ゲーム」

「永遠の無限感」は「無限の私」による
「知覚型体験ゲーム」と知る、

そして自分のイシキの注目に気づく
自分は何を選ぶのか、、、
自分の代わりに選んで、決める存在は、誰もいない

「一瞬の無限感」か
「永遠の無限感」か
自分で選択する、自分で決定する、

「永遠の無限感」を選ぶならば
自分で「空想の自分」エゴに気づき、
その執着と抵抗を浄化してゆく、

「永遠の無限感」は、
「自分の中心に沈む」ことで感じるもの、
「無限に合わせ」、、「波動貯金」を続ける

物質の次元で
「何かをしてはいけない」ということはない、
何をしても、無限か限定か、どちらの波動を
選んでいるかが大切、

何をしてもしなくても
「自分の波動、自分の在り方が大切」
ということを常に忘れない

そうして、、、何かや、誰か、という
対象物による「一瞬の無限感」は、
自分の知覚が移行するまでの「アソビ」として、、

執着も抵抗も手放しながら、
全てに成ってくれている創造主への
感謝と
歓喜で、ただ楽しみ
「ただ在る、生きる、ただアソブ」でいる

、、それが、創造主「無限」と
波動が合うコツである

エスより

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浄化誘導
まずは今回示した、大きなものを一緒に浄化し、
あとは自分自身で日々気付き、浄化してゆきましょう
必ず変わると決めて、やり続けましょう
(誘導は文章化せず、じかに
録音します)