newこだまなくらし

あなたの ハートに 「やっほー」と いえば 「やっほー」と こだまが かえってくるよ ・・・あなたが 「こだまな くらし」を したら  ゆたかさ あふれる せかいに ゆくよ あなたの ハートの なかにある ひかりの あいを ひびかせた 「こだまな くらし」つくってね ☆ホームページをご覧ください http://mizuetenji.web.fc2.com/

⑱「許し」について

掲示セミナー
⑱「許し」について

では、今回も、「迷子の幼子物語」の続きとして、
無限へと知覚を戻してゆくための
解決となるヒントを話し合ってゆきましょう

________________
さて、「光のイシキ」の皆さん、
「迷子の幼子物語」で伝えたように、
皆は、天国で迷子に
なり、
「空想の自分」を無数に創った

だが、そのことをあれこれ言っていても
何の役にも立たない、

「全ての全てが創造主で、無限であるならば、
俺は、なんで、こんな羽目になっちまったんだ」
な~んてぼやくのも
「空想の自分」の限定思考で、
目覚めを遠ざける、寄り道なんだよ

そこに含まれる、後悔も、がっかり感も、
自虐や、罪悪感も

全てはエゴだから、手放すところだ

もしも、そんな風に感じているのならば、
まずは、自分自身への「許し」がいるだろうね

この「許し」について語れば、これまたきりがない

でも、シンプルに、結論だけを言うならば、
全ての全ては、自分の決め、、すなわち決定なんだ
故に、許すかどうかも、自分の決めなんだ

エゴ、、というものは、
自分自身を、、許さないものだ
そういうエネルギーなのだ、、と理解するといいよ

エゴが、自分自身を許さない理由は、
罪悪感、無価値感、自己否定、後悔など、、

これも無数にあるだろうね

また、「全てはひとつ」なので、
実際には、他というものはないが、
エゴ、、というものは
他の人や、世界や、何でもかんでも、
許さないものだ

また「全てはひとつ」と忘れさせるのが、
「エゴ範囲内の知覚」というものだ

だけどね、、先ほども触れたように、
実は、許すのは、とっても簡単なんだ

ただ「許す」と決めるだけ、、それだけなんだ

「あ~、自分は、まだ許していないんだな~」
と気づいたならば、また決める
何度でも、何度でも、ただ決める、
しつこく来るなら、しつこく決める


内観し、自分のどこにも、何にも
引っかかっていないと感じるまで、
「許す」と決める

ただ、それだけなんだ

「エゴ範囲内の知覚」で「許さない」と決めている
じゃあ、どうする?
「無限の私の愛」で「許す」と決める
ただ、それだけなんだ

そうして、、「無限の私の愛」で決定することは、
何よりも強力であり、全てに優先される
これも自分自身で決めることだ

さて、創造主について、想いを巡らせてみよう
皆は、創造主、、神を、自分たちの感覚、、
「エゴ範囲内の知覚」で捉え、
思い描いても来た

自分たちが喜怒哀楽に翻弄されているので、
自分達と同じような、情緒不安定な神を
思い描く人々も多いようだ

そんな人々の神は、
天罰もくだすし、
天災をもたらしたりもするんだろうね

「お~神よ、こんな呪われた運命を与えたもうなんて、
いったい、私が何をしたというのだ~」
、、な~んちゃって、
芝居がかって
天に向かって
叫んだりする
おやおや、ぜ~んぶ「自作自演」なのにね

実際には、
神は、、創造主は、、
無限の愛そのものであって、それ以外にはなれない
もしも、創造主が無限の愛以外の何かになったなら、
全ては存在しない

創造主は、
永遠に、無限の愛のまま、
皆に壮大なる自由意思を与え、
どんな夢でも体験させてくれる

たとえそれが、
支離滅裂、言語道断、荒唐無稽、極悪非道、
の人生であっても、、、
そして、創造主に抵抗する夢であってもね

創造主は、
無限愛のまま、ただ在るだけ、
抵抗されたって、無視されたって、憎まれたって
創造主は、永遠に無限波動のままなので、
それらの限定波動を、まったく意に介さない

全ての存在に、何でも体験し、
味わう自由を与えているんだ
創造主が、永遠に無限波動のままだからこそ、
すべてが在り続けてゆく

、、これは、究極の「許し」ではないだろうか?

創造主は、全てを許していて、全てに成りゆく、
何故なら、皆は天国にいて、安全で、
自分の好きな夢を見ているだけ、
物質体験ゲームに夢中になっているだけ、だからね

あなたは、
どう在ろうとも
創造主に、ずっと許されてきたし、
これからも、永遠に許され続ける

あなたが、どんな夢を創造してきたとしても、
またこれから、どんな夢を創造しようとも、
創造主は、永遠に、あなたの夢になり続ける、

ただ、無限のままでの「知覚型体験」か、
限定に入りこんでの「埋没型体験」か、
その違いがある、、というだけだ


さて、創造主である光、、、
アダマンタイン粒子が成りゆく、
素晴らしく、美しい、
皆の夢は、
地球体験の過程で、
限定に入りこんでの「埋没型体験」
の夢となった

そうして、
無数の体験の場の一つである地球は、
死んではまた戻ってくる、お馴染みの場となった
まあ、地球は素晴らしい惑星だけどね、

さて、その根本原因は、
「空想の自分」エゴの創造によるものだった
、、と伝えてきた


だが、どのような限定体験を創造していようとも、
光のレベルでは、何も起きてはいない
だから実際には、
「許す」という概念さえ、存在してはいない

これは、
実にすごい話だと思わないか?
この世界を現実だと思い込んでる人々にとっては
突拍子もない話だろうね
「え?「許す」が存在しない?」
「どういうこと?」ってなるだろうね

だけど、実は当たり前なんだよ、
だって、
全てはひとつ」なのに
いったい、誰が、誰を、許さないのだろうか?

全ての全ては創造主で、全てが無限の愛で、
故に当然、自分自身も無限の愛なのに、
いったいどうして、自分自身を許さないのだろうか?

「全てはひとつ」ならば、
対象物が存在していないならば、
加害も被害も、罪も罰も全て、ありえないものなんだ

それらは夢の中では体験出来るかもしれないが、
実在はしていない
皆は、ありえないものを空想し、体験する内に、
ありえないものの方を、実在だと思い込んだんだよ

このことが、本当に理解できたなら、
「許す」までもないだろうね
だって、実在していないんだからね
「あ、それ夢ね」、、てなもんだ

このことから、たとえ話をするならば、、、
あなたが、自分や他を許さないとき、
あなたは、自分が夜中に見た夢に向かって
「許さな~い」と言ってるのと同じことになる

どうだい?、、空想しただけで、ギャグだろ?

それも、ほとんどの人は、
自分のことも、人のことも、世界のことも、
一生涯、許さないままだ

自分や人や世界の混乱を見ては、
こんな悲惨な体験をもたらす神や仏を許さない、
なんて人もいる

そんな風に、自分自身の夢に向かって
「許さな~い」と言い続けているんだ

そうして、死んではまた戻ってくる
「許さない」波動を内在化したままで、
「許さない体験」を再創造する為なのかもね

もちろん、「空想の自分」は
もっともらしいことを言うものだ
私たちは、ちゃ~んと知っているよ
「あ~あ、また自分に騙されてるよ」
って言ってるんだよ

だからね、自分が、実相について知れば知るほど、
「火の用心」ならぬ、「エゴ用心」が重要となる
「エゴ用心、さっしゃりませ~」

人々のエゴが、よくわかるようになるので、
あれこれ言いたいエゴ」が、
どこからともなく、それも頻繁に
「むくむく」と湧き上がってくるんだ

「どうしようもないな」「手に負えないバカだ」
「まったく変わってる」「ほんと、困った奴らだ」
「根性が悪い」「頭おかしい」などと言いたくなる

確かに、その通りかもしれないね、
だけど、その「価値判断」は、
どういうことなのかを見てみよう

その「価値判断」は、
創造主が、すでに許して、すでに存在させているものに、
抵抗していることになっている、

そこであなたは、、、
これこそが、創造主への抵抗、無限への抵抗
だった
と気づくことも出来る、

そこであなたは、、、
あれこれ言いたいエゴ」を即効ひっこめて、
自分自身も即効許して、
創造主と波動を合わせることもできる、

あなたにはその自由意思があるんだ
さあ、「エゴ用心、さっしゃりませ~」

その人たちは、いま、
確かに、、そういう在り方を体験している、
だが、それは、あなたがかつて
必ず通ってきた在り方だ

その体験を通過して、あなたはいま、
その在り方が、どういうことかが、わかるようになった、

創造主は、彼らに自由を与え、
彼らのそのままを愛している
ならば、あなたはどうするのか?
それが、あなたの与えられた自由意思ってことなんだよ

創造主に、、無限に、、抵抗し続けるのか?
それとも、全ては抵抗だった、
と気づいて、ただやめるのか?

あなたが、選ぶ波動はたった二つ
「限定波動」か、
「無限波動」か、

いいかい、ちゃ~んと見てごらん、
夢の中の、自分や他を許さないとき、
自分のイシキの注目は、
一体、どこに向いているのだろうか?

自分のイシキの注目は、自分や他に対する
「許さない」という
「限定波動」に向いている

そこには
きっと「もっともな」意味付けも
「ごまんとあることだろう、
絶対に許せないほどの、ひどい出来事もあることだろう

それでも、それは、ぜ~んぶ夢なんだ、
皆は、自分の夢に向かって
「許さな~い」と
言い続ける、

自分のイシキの注目は、
自分の送り出す波動となり、
自分の望みとなる

そうして、創造主は、その無限の愛で
自分の、お望みどおりに、
自分や他を「許さない体験」を、
現わし続けてくれるんだ
その波動を送り出すのを、
自分が、やめるまでね

「八方美人や、いい人になれ」
と言ってるのではないよ

ただ、在るがままを許し、存在させている創造主と
あなた自らが、波動を合わせようとしなければ、
あなたは、在るがままの、無限の自分には戻れない
だって、無限に抵抗してるんだからね

あなたがいるのは、物質の世界ではない、
波動の世界なんだ、
波動が、光が、、全ての物質になっていて、
あなたに、いまの体験をさせている
そして、、それは全部、何から何までが、
創造主なんだ

それにね、もう一つ、無限は感じるものではあるが、
無限について語ってみると、こうなるね

「無限とは限りのない状態」
「無限とはその中に
全てを内包している」
「無限の外側というものはない」

あなたが、
「あれこれ言いたいエゴ」になって、
何かや誰かや世界に抵抗している時、
あなたは、無限である自分自身の一部を否定し、
切り離そうとしているんだよ
「こいつは俺の一部じゃね~」ってね

これが自分自身の無限性を否定し、
無限に抵抗している状態
、、すなわち、創造主に抵抗している状態なんだよ

実際には、、無限の一部を切り離すの
ありえないことなので、
抵抗した自分の知覚の方が捻じ曲がる
、、ということになる

こうして、皆の知覚は

「エゴ範囲内の知覚」となったんだよ

それを、もうやめて、元に戻そう、
無限に還ろう、、というときに、
またまた、エゴがお出ましあそばすってわけなんだ

だからね、、自分と世界の波動が上がるほどに、
「エゴ用心、さっしゃりませ~」

「私は、自分に、人に、世界に
「許さな~い」と言っていないだろうか、、?」

「私は、「こいつは俺の一部じゃね~」って
自分の一部を切り離し、
無限に抵抗していないだろうか、、?」
それを、ちゃ~んと見て、気づいてね
 
さて、、、とはいえ
光のレベルでは、何も起きていないので、
「許す」という概念さえない、ということだった

ただ、皆は「空想の自分」エゴによって、
「許さない」という
概念、波動、
エネルギーを創造したので、
ここでは「許す」という「コトバ」を使っているんだ

だから皆は、これまた
「ありえな~い創造をしちまった」
、、というわけなんだ

だから、次の様に言って、
自分で自分を笑ってしまえるだろう

「ありゃりゃ~、私ったらやっぱ、
大発明家
の、無限野郎だったわ~
「ありえな~い創造しちゃったよ~

私はね、全てとひとつで、創造主と同じ無限の愛だ、
だから、自分も他も
許さないなんて、ありえな~い、

さて、「許し」について、
「創造主と同じになりなさい」
、、と言いたいのではないよ、

「なろうとするな、すでにそうであると知れ」
そうなんだよ、、
「光のイシキ」であるあなたは、
もともと創造主と同じ存在なんだ、

違っているところなど全くない、と知ることだ
無限の愛で、完全完璧、全知全能だ
そして、幻想体験の過程で、何がどうなろうとも、
あなたは永遠のままだ
あなたの体験が尽きることもありえない

ただ「空想の自分」を、自分だと思い込んでいる、
と知ることだ、
ただ「時という幻」の、ある一時、
創造主に、無限に、抵抗する夢を見ている、
というだけだ、

それでも、自由意思があるために、
あなた自らが気付いて、選んで、決めて、
その夢を終わらせるしか、他に方法はないんだよ

「空想の自分」は「愛」も「許し」も知らない
「空想の自分」は、
限定感情のエネルギーなので、
ずっとそのままで変わらない

だから「空想の自分」が許すのを待っても無駄だ、
何億年たっても許さないままだろう

だからこそ、絶対に許さない「空想の自分」を、
見切って、相手にしないで、ほったらかして、
「無限の私」で許すことを決定しよう、

あなたが押し切らない限り、
「空想の自分」は永遠に許さない、と知り
何度でも、何度でも、ただ決めよう

覚えておいて欲しい、
エゴは必ず、次の様に言うものなんだ

「こんな理不尽なことを許すなんて、絶対できない」

「こんなことを許す、こんなやつを許す、のは、
こういうことを認めることになるじゃないか」

「こんなことが起きないようにしたいのなら、
絶対に許してはいけない」

これらの「エゴ範囲内」の考えは、
全て「あべこべ」だ
「許さない」という波動に注目し、
「この体験もっとした
い」と言っている

だから、創造主は、
こんな風に言ってるかもしれないね
「そうかそうか、君はその夢がもっと見たいんだね
あははあはは~あははあはは~」
 
送り出す波動が現れる世界で、
一体どんな波動を送り出しているのかを
これらの考えの中に、見てみれば
あなたにもきっと、理解できるだろう

さあ、エゴのささやきで「許せない」気分の時には、
無限の愛である創造主を思い出そう、
全ては創造主への、無限への抵抗だった、と思い出そう

創造主は、すでに全てを許し
すでに
それらを存在させている
だからこそ、あなたは、
その、、「許さない体験」ができている

まあ、「エゴ範囲内の知覚」から見たら
不本意かもしれないけどね、、
それでも、あなたが、エゴを自分だと思い込んだまま、
許さないでいるならば、どうなるのかを思い出そう

そのままでは、創造主に抵抗していることになる、
と思い出そう
全ては創造主への抵抗だった、無限への抵抗だった、
と思い出そう
無限に抵抗したために、知覚が限定へと移行したのだ
と思い出そう
それが、限定に入り込んでの「埋没型体験」だった、
と思い出そう

そうして、次の様に言えるだろう
「創造主が、
全て許し全てとなっている
創造主が、すでに許しすでに存在させているのに、
私が許さないって、一体これは何なんだ?

私は、
「こいつは俺の一部じゃね~」って
無限である自分自身の一部を否定し、
切り離そうとしてたんだ~

あ~これが、創造主への抵抗だったんか~い!
無限への抵抗だったんか~い!
大山脈に体当たりして粉々になってもやめない小石
って、これだったんか~い!

ぜ~んぶ、自分としか思えないけど、
こりゃあ絶対に「空想の自分」に決まってるじゃ~ん!

「空想の自分」どんだけ、無限に抵抗してるんだよ~
わたし、創造主の無限愛の中にいて、
どんだけ、創造主に抵抗してたんだよ~

いやいや、大したもん創っちまったぜ、

わたし、やっぱ無限野郎だわ~

さあ、「許さない」夢を見続けるのか、
創造主の
無限の愛へと還るのか、
それは私の選択だったよ~

こりゃ~、徹底的に「許す」と決めまくるぞ~
やっぱ、許さないなんて、ありえな~い」

あるいは、イエスがわざとやった
「十字架の道」を思い出してほしい

「そうだった、そうだった、
エス君は、
理不尽度マックスの、十字架の道を
わざと、やって見せてくれたんだよね~

エス君たら、役者だよね~
「わざとだよ、わざと」って言ってたもんね
「何をされようと、へっちゃらさ~」
って言ってたもんね

光のレベルじゃ、何~にも起きていないんだよ~」
って言ってたもんね
やっぱ、許さないなんて、ありえな~い」

さあ、だからね、、
自分が、創造主に、無限に、抵抗したことも、
そのことで、自分が限定の夢に埋没したことも、
ぜ~んぶ、許すことだ

だって、全ては夢で
それは、夜中に見ている夢と同じなんだよ

創造主は、全て許して、
あなたの体験になり続けているんだよ
それが、創造主
無限愛なんだよ
あなたは永遠に、無限愛の只中にいるんだよ

それを知覚したいと思うならば、こう言うことだ
創造主と同じに、ぜ~んぶ許すしか、ありえな~い」

「たったひとつ」の存在があり、全てがそれである
創造主も、あなたも、わたしも、人類も、世界も
「ひとつなるもの」だ

自分自身を責め、許さないのは、
創造主への抵抗だった

誰かや何かや世界を責め、許さないのは、
創造主への抵抗だった

それが、あなたが見てきた夢だった
創造主に、、無限に、、抵抗することによって、
自ら創造した、限定の夢だった


その限定の夢を終わらせ、、
創造主と波動が合う存在に還りたければ、、
あなた自らが、日々、限定を手放し、
日々、無限に合わせなさい

さあ、だからこそ、

自分と全てを「許す」、とただ決めよう

エスより
________________