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あなたの ハートに 「やっほー」と いえば 「やっほー」と こだまが かえってくるよ ・・・あなたが 「こだまな くらし」を したら  ゆたかさ あふれる せかいに ゆくよ あなたの ハートの なかにある ひかりの あいを ひびかせた 「こだまな くらし」つくってね ☆ホームページをご覧ください http://mizuetenji.web.fc2.com/

⑫「無限の私の愛」でいる

 
⑪の続きになります


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掲示セミナー⑫
「恐れの浄化」③「無限の私の愛でいる
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★波動の同調&同情エゴ

さて、、「恐怖映画」となった幻想体験の中で、
あなたは、何を自分の真実とするのだろうか?
「あなたの真実はあなたが決める」
あなたが決めなければ、何も決まらない

また、あなたが
「自分の創造だ」と決めなければ、
あなたには、何も変えることが出来ない

そして、人類の「恐怖映画」に、
同調し、、同情していては、
「死のゲーム」からは抜けられない

「限定の波動」に同調、共鳴し、
「恐怖映画」に、個々のエゴで同情することで、
人類全体で、記憶喪失、自作自演の
「恐怖映画」を創造し続ける
、、、それが、人類全体のエゴなんだ

では、この「波動の同調、共鳴」と
「同情エゴ」について知ろう

**********
①波動の同調と共鳴

あなたは「光のイシキ」であり、
物質体験とは、あなたの「イシキが見ている夢」だ
光に分離、分割はなく、あなたは
全てとひとつ」だ

「全てとひとつ」の
あなたは
他の存在の波動や、様々な波動と、同調し共鳴する

そこで、あなた本来の「無限の波動」に
同調し共鳴するならば、、
あなたは「いい気分」となり、
マインドは「正常モード」で働き、
ひらめき、洞察、フィーリングを、思考に変換する

考えるまでもなく、
「ただわかる」、、という感じだ

一方、空想した「限定の波動」に
同調し共鳴するならば、
あなたは「嫌な気分」となり、
マインド
「逆転モード」で働き、
限定の「思考と論理」で「あれこれ」言い始める

そこから「限定局」とのチューニングが、
ひっきりなしに続く
また、あらゆる考えが、ひっきりなしに差し込まれる

空想した「限定の波動」との同調と共鳴は、
波動の「無意識選択、無意識決定」といえる

そして「限定の波動」と
同調し共鳴するならば、
あなたは「エゴ範囲内の知覚」となる

**********
②同情エゴ

同情は、エゴだ

第2チャクラのエネルギーなので、
心配や不安、、などとリンクしている

同情は「限定の波動」なので、
「限定局」とのチューニングが、ひっきりなしに続く
あなたは「嫌な気分」となり、
マインドは
「逆転モード」で働く

あなたは「エゴ範囲内の知覚」となって
あらゆる考えが、ひっきりなしに差し込まれる

また、自分の体験にも影響する
たとえば、誰かの不幸と混乱」「不足と喪失」
「病気と死」などに同情すれば、、、
それは、あなたの波動選択となる
注目し選択し続れば、あなたの体験となって現れる


以前に「ヒーローエゴ」の話をしたことがある
「人を
助けたい救いたい」という思いは、
その始まりは「無限の私の愛だろう

だが多くの場合「問題のレベル」にいるままに、
「何とかしよう」として、、
「無限の私の愛
から出て「エゴ範囲内の知覚」に入る

そうして多くの場合、
敵や悪者を創って
「ヒーローエゴ」で「正義の戦い」を始める

「問題は問題のレベルでは解決されない」のにね
これはね、、「問題のレベル」とは「限定の波動」
だから、問題は「限定の波動」では解決されない、
ではどうする?、、「無限の私の愛
でいろ
、、、ということになるんだ

さて、、、メディア、ネット、ニュース、
などの映像や情報で、、
人類と世界の「不幸と混乱」「不足と喪失」
「病気と死」などに注目し、人々は次の様に言う

「何て、ひどい有り様だ」「かわいそうに」
「気の毒で、目も当てられない」
「何とかしてあげたい」
「神も仏もない」「イエスや釈迦は一体何してるんだ」
「酷い話だ」「悪い奴らを野放しにはできない」
「糾弾し責任を取らせるべきだ」「絶対に許せない」

人々は「無限の私の愛」から出かけ、
「限定の波動」と同調、共鳴し、
「エゴ範囲内の知覚」となる

人々は、記憶喪失、自作自演の「恐怖映画」を
実在だと思い込み、、「同情エゴ」になる

だが、もう、気づこう、

限定の波動」との同調と、同情エゴは、

自分と人類の「恐怖映画」を永続させるだけなんだ

また、何かや誰かと戦う必要がある
、、と思っているならば、、、
「全てとひとつ」の自分を、敵と味方に分けて戦う、
エゴの「死のゲーム」から抜けられない

何故なら、、、「ゲーム
続行」が、
あなたの望みとなっているからだ

「人々の悲しみ、苦しみを見てみぬふりをしろ」
、、などとは言ってはいない

「波動が全て」と覚えておこう
解決は常に、、「無限の私の愛
」でいる
その在り方のままで、、そこから出ないで、、
あなたに出来ることを、何であれ「ただやる」ことだ
 
あなたは人類」という一つの「集合イシキ」でも
地球体験を創造している

もしも、人類と地球の平安を望むなら
「無限の私の愛」でいて、平安を感じている人が、
人類の臨界点を超えることだ

だからこそ、あなたが

「ハチドリの一滴」「バタフライ・エフェクト
をやることは、、、
必ずや、人類の「平安の波動」の
臨界点を超える
、、その、礎となる
 
さあ、「記憶喪失」から抜け出そう
「恐怖映画」の自作自演を思い出そう

「恐怖」は「恐怖」を生み出し続ける
怖い夢は、皆で見れば、なおさら怖いことになる
それがいま、あなたが見ている「限定の夢」なんだ


波動が全てだ
「限定の波動」に、同調、共鳴するな
「恐怖映画」に、エゴで同情するな
 
そんなことが起こる人類の現状を、
真に何とかしたい、、と思うならば、
あなたの、その愛を「無限の私の愛
にする

同調&同情を使う、人類エゴを読み切るんだ
読めたら、もう相手にするな
歯牙にもかけるな

注目すれば、皆はまだ、影響され、
自分もまた「エゴ範囲内の知覚」となる

エゴの浄化とは、、、
「無いを無いにする」ことだ、、と思い出そう
「恐れ」はエゴだ、エゴは無存在だ


無いものとは、、、錯覚であり、
「錯覚している自分」とは、エゴだ
そして、錯覚しているのは、自分なのだから、
自分の錯覚は、自分が浄化することだ


「恐怖体験」
「無限体験」か
「死のゲーム」か「死の超越」か
「あなたの真実はあなたが決める」

決めたら、何度ぶれても、自分を許し、
「自分の決定」に戻り続け、ただやる


無意識選択、無意識決定は、やめる
波動が全てだ
「無限の私の愛
でいる
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★「無限の私の愛でいる

あなたはいま、限定の夢の中にいる
それでも、あなたはいま、自分の中心の
「無限の私」の「愛の波動」を選ぶことが出来る

私が、イエスとしてこの世界に生まれ、
人間として生きた時、、
私は「
創造主とひとつ」で在り続けた
それは「無限の私の愛でいた、、ということだ
 
その在り方でいたからこそ、
「ハートの指令を取り戻す道」
も敷けたし、
「十字架の道」も、やって見せることが出来たんだ
では、これについて、前回の話を使い伝えよう

********************
①「え?十字架の刑?
ああ、あれは、皆のイシキが見ている
「恐怖映画」の中で、行われたことなんだよ」

さて、エゴになって「限定の夢」に
入り込んでいるならば、
これを聞いても、どういう意味か分からないか、
「頭の中がひっくり返る」感じかもしれないね

まず、理解することは、、、
あなたの幻想体験は、

自分のイシキが見ている夢」だ、ということだ

また、理解することは、、、
光のレベルを認識していれば、
その夢には影響されない、、ということだ

エスとして生きた時、、、
また「十字架の道」をやって見せた時も、、
私は、光のレベルを認識し
「無限の私の愛
でいた

そして、、、あの「十字架刑」は、
皆の「イシキが見ている夢」の中行われていた、

「夢なので実在していない」
それは夜中に見る夢と同じ」
、、と思うと、わかりやすいかもしれないね

だから当然、光のレベルでは、
何にも起きていなかったんだよ

そして、私は光のレベルを認識し、
「無限の私の愛
でいたので、
皆の夢には、まったく影響されなかったんだよ
********************
②「どんなことをされようと、へっちゃらさ~
だって、私は、肉体だけの存在じゃないからね~
皆と同じで、私は光のイシキだからね~」

まず初めに、理解しておいてほしいことがある
私が地球に生まれて来た目的は、
「ハートの指令を取り戻す道」を敷くことだ
また私は、人類の一員として、
その道を敷く必要があった、ということだ

そこで私は、
人類の一員となるために、
エスとしてこの世に生まれ
皆と同じように、この世界にいて人間体験をしていた
皆と同じように、他の人と触れ合える肉体で、
ちゃんとそこにいた
んだよ

ただし、私は肉体にはいたが、
光のレベルを認識し
「無限の私の愛でいた
だからこそ、いろいろと、
やって見せることが出来たんだ

さて、、私は肉体にいて、
皆と一緒に、人間体験をしていたが、

「限定が実在する」という、
エゴの「お芝居」には参加しなかった

それは、、皆の完全性だけを見て、
皆のエゴには同意しなかった、、ということだ

だから私は、皆がエゴの「お芝居」の中で味わう
悲しみや嘆きにも、、肉体の痛みや苦しみにも、、
入り込まなかったんだよ

ただし、「十字架刑」の時だけは、
「皆に見せたいことあったので、
私は、エゴの「お芝居」に「わざと」参加した

「皆に見せたいこと」と
は、、、
「死のゲーム」を「死の超越」に変えてもらうために、
死からの復活の「お芝居」を「わざと」やることだ
 
さて私は、エゴの「お芝居」に「わざと」参加したが
「十字架刑」の時もずっと、
私は光のレベルを認識し
「無限の私の愛でいたので
肉体の痛みや苦しみには、入り込まなかった

だから「どんなことをされようと、へっちゃらさ~」
、、、ということになるんだよ

もしも私が「苦しんでいた」ならば、
私も、エゴになって「お芝居」に入り込んでいた
、、、ということになるんだよ
それは、イエスは「エゴ範囲内の知覚」にいた
、、、ということになるんだよ
だとしたら、私には、何一つとして出来なかった
、、、と知ってほしい


私は、
光のレベルを認識し
「無限の私の愛
でいたからこそ、、、
アダマンタイン粒子に指令を出し、
いろいろ、やって見せることも、

水の上を歩くことも、死から蘇ることも、
テレポーテーションすることも、
その他の何もかもが出来たのだ、、と知って欲しい

エスは、さぞ苦しかっただろう、
人類のために辛い体験をしてくれた
、、などと、いまだに思っている人がいる
また、イエスは今もまだ苦しんでいる、
エスの苦しみを分かち合わなければならない、
、、、など
という人もいる

まるで、、、成仏してない「地縛霊」
みたいな言われ方だよね
お笑いの突込みなら
「地球の地縛霊にそんなん言われたくね~」
って言いたいくらい、突っ込みどころ満載だよね

さて、、、それは全部、同情エゴだ
そして、そういった推測は全て、、、
「お芝居」に入り込んで、演じている人々の
「錯覚」にしかすぎない

もしも皆が「イエスが苦しんだ」と思っているならば
皆は、イエスを「神の一人子」だ、と言いながら、
一方では、イエスが「エゴ範囲内の知覚」にいた
、、、と言っていることになるんだよ

このように、矛盾しているのが
「エゴ範囲内の知覚」なんだよ
だからこそ、「無限の私の愛」でいることだ

********************
③「光のレベルでは、何も起きていないんだよ
光のレベルでは、光の自分は、全てと一体で、
誰かに、何かをして、どうにかする、なんて
まったく不可能なんだ」

さて、この話は、皆のよく知ってる「光」で例えられるよ
太陽の光でも、電球の光でもいいね
光をハサミで切ってみると、どうなるだろう
光、、というものは分割できないことがわかるはずだ

何かの物体で、光の通路を遮断して、
光を遮ることは出来るだろう
でも単に、遮っただけで、光を分割したわけではない
だから、光には、分離、分割はない、と知ろう

そこで、もしも、光のレベルを認識していたら、
「光のイシキ」である自分は「全てとひとつ」で、
誰かに、何かをして、どうにかする、なんて
まったく不可能で、あり得ないことがわかるんだ

では、いまのあなたを見てみよう
あなたはいま、
自分は、地球上の、どこかの国の、
どこかの場所に
いる、人間だ、、、と思っている

では、もしもいま、あなたが波動を上げたら
どうなるか、一緒に見てゆこう

あなたには、光の
レベルが認識できて
あなたは、いまここで、四方八方に無限に広がる
光の中にいることがわかる

あなたは、いまここで、、
小さな一点の「光のイシキ」であり、
また、光に分離分割はなく、
あなたは、全ての光であり、
あなたが、全ての
光の中心だ、とわかる

あなたは「全てとひとつ」で在りながら、
「わたし」という自己認識を持ち、
自分自身でもある、その光を使って、
どんな体験も創造できる、無限の創造主だ、とわかる

では、その視点のままで
地球体験をしてるあなたを見てみよう

いま
、あなたは、自分でもあるその光を使って、
「恐怖映画」を上映し、エゴになって
「お芝居」に入り込んでいる、とわかる

自分は「光のイシキ」なのに
エゴになって「自分は人間だ」
と思い込んでいる、とわかる

どうだい、わかったかな
その、思い込みこそが「エゴ範囲内の知覚」なんだよ

だからこそ、「無限の私の愛」でいることだ
********************
④「皆も、光のレベルでは何にもやっていないんだよ
もちろん、罪も犯していないんだよ、
だからね、加害も被害もないんだよ、
すべては「恐怖映画」の中の、錯覚なんだよ」
 
さて「光のイシキ」である自分は「全てとひとつ」で、
誰かに、何かをして、どうにかする、のは
不可能だ、

「光のイシキ」である自分は「全てとひとつ」なので
そこには、加害も、被害も、
罪も、罰もない
殺人者も、犠牲者もない
生まれたこともなく、死んだこともない

それらは全て、錯覚、、
エゴ範囲内の知覚」なので、
無限の中には、実在していない

だから「十字架刑」の時も、
皆は光の中にいて、何もやってはいなかった

ただ、皆の「イシキが見ている夢」の中では、
加害者と被害者に分かれて
エゴになって「お芝居」をしていただけなんだ

さて、夢の中で「お芝居」をしていただけなので、
そのことで、反省、後悔、
自虐、
していること自体が、全部エゴだ、、ということになる
だから、そういうのは
もうやめた方がいいと言ったんだよ

また、、「イエスが「人類の罪」を背負った」
という話では
「存在していないものは、背負えるわけがない」
、、、と言ったんだよ

それらは全て、
人類が創造している「恐怖映画」の中での仮想体験、
「死のゲーム」の中での
錯覚体験なんだ
そして、「エゴ範囲内の知覚」なんだよ

だからこそ、「無限の私の愛」でいることだ
********************

さて、
エゴになって
「お芝居」に入り込んでいるならば、
こういった話すべてが、荒唐無稽に感じるだろう

だから、証拠が欲しくなる
自分が
「エゴ範囲内の知覚」という
「限定の波動」にいるままで

「無限の証拠」を求める人は多いんだ
だが、それは実際には、無理な話なんだよ

あなたが真実と決めたものを、あなたは体験する
どんなに錯覚していたとしても、
あなたは創造主のままなんだ
それが、あなたが与えられた自由意思なんだ

あなたが無限の波動に在るならば、
あなたは無限の波動領域を知覚する

あなたが、限定の波動に在るならば、

あなたの知覚は「極小の一点」に絞られる
それが「エゴ範囲内の知覚」ということなんだ

だからこそ、「無限の私の愛」でいることだ
いまという瞬間の、あなた自身の
気づきと、選択、決定で、それを持続してゆけば、
「無限の私の愛」でいること
あなたの普通の在り方となるだろう

そうすれば、あなた自身の気付きは、
更に加速するだろう

そして、、あなたが、限定の波動に在る
ならば、

「限定の証拠」は揃いやすく
「無限の証拠」は揃いにくいものだ

だからこそ私は、
あなたの目覚めた部分として
「無限の証拠」にしてもらいたいと、
「ハートの逆転を取り戻す敷き
「十字架の道」で「死の超越」をやって見せた
 
私がイエスとして演じた「十字架の道」は、
皆の注目を集め、2000年という幻想の時を経て、
「波動上昇の時代」まで持ちこたえたね

確かに「エゴ範囲内の知覚」で曲がった
それでも、
私がやって見せたことが、
忘れ去られずにいたおかげで、
こうして皆に伝えることが出来るんだ

それは、私たち目覚めたガイドの喜びだ
皆の「恐怖映画」に「わざと」参加して
「わざと」やったかいがあった、というものだ

まあ、ネットもテレビもない時代だったけど、
コマーシャル効果ばっちりだったね
人類的には、強烈で、センセーショナルで、
エモい(エモーショナルな)出来事だったんだよ


そして、、、たとえ、たった一人でも、
「死の超越は私の真実だ」と決める人がいれば、
私がやって見せたことは、大成功だ
その人から「目覚め」の波動が、広がってゆくだろう


さて、、、自分自身の錯覚は、
他の誰にも浄化できない、
他の誰も代わることは出来ない
「エゴ範囲内の知覚」からは、自分で出てくるしかない

全ては、あなた次第だ、
後は、あなたの気づきと、選択と、決定に、任せよう
「あなたの真実はあなたが決める」
「死のゲーム」か「死の超越」か

もちろん、私が見せた「死の超越」を
あなたが選んでくれたら、
とても嬉しい
そうして、あなたが波動を変えれば、
無限の波動領域が、あなたには知覚できるんだよ

それには、、、
さあ、自分の中心に沈んで
無限に波動を合わせるといいよ
限定はぜんぶ「錯覚だ」って決めるといいよ
限定はぜんぶ、
手放すといいよ

そうしたら、目が覚めるからね
「何も起きてなかった」ってわかるからね
光のレベルが見えるからね
アダマンタイン粒子に指令を出して
何でもできるからね

めっちゃ面白いよ~
楽しいよ~最高だよ~
無限の宇宙体験、無限の次元体験
それが永遠に続くんだよ~


どうだい?わかってくれたかな?

、、、イエスより
********************
★宣言と決定
では、前回と今回の話からは、
次の様に宣言と決定をしてみるよ
自分でも気づきがあれば加えて欲しい
_________
①「恐れ」の体験は全て、
記憶喪失、自作自演の「恐怖映画」だ、
と私は知っている

「恐怖体験」か「無限体験」か
私は「無限体験」を選択する、と決めた

「わたしの真実はわたしが決める」
「全ては私の創造だ」と私は決めた

限定の波動」との同調、共鳴は、
波動の「無意識選択、無意識決定」
「エゴ範囲内の知覚」だ、
私は知っている
同情はエゴだ、と私は知っている
私は「無限の波動」を選択すると決めた

人類と地球の平安を望むなら
「平安の波動」にある人が、
人類の臨界点を超えることだ、と私は知っている

私は、人類という一つの「集合イシキ」でも

地球体験を創造している、と知っている

 私は「ハチドリの一滴」「バタフライエフェクト
をやり続ける、と決めた

⑤イエスが「わざと」やった
「十字架の道」を、私は知っている
「死のゲーム」か「死の超越」か
私は「死の超越」を選択する、と決めた

エスは私の目覚めた部分だ
私は、イエスの真実を使うと決めた

限定を含む幻想体験は全て錯覚だ、
私は限定にイシキも波動も合わせない、
私は永遠だ、私は無限だ、私は完全だ、
私は創造主だ、これは私の真実だ」

⑦私が波動を変えれば、
無限の波動領域が、知覚できる、と私は知っている
私は、無限に
波動を合わせ
無限の波動領域を知覚する、と決めた

⑧波動が全てだ、と私は知っている
私は「無限の私の愛でいて
気づき、波動を選択し、自分の真実を決定する

⑨私は、自分の錯覚
を全て浄化し
「エゴ範囲内の知覚」から出る、と決めた

⑩「
私は「光のイシキ」だ
私は、全ての光であり、全ての光の中心だ、
私は、「全てとひとつ」で、無限の創造主だ」

これは、私の真実だ

私は「自分は人間」という
錯覚エゴを手放すと決めた
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